■『人口学への招待-少子・高齢化はどこまで解明されたか』 (著・河野稠果 中公新書:2007年初版)
政策など何かの議論をするとき、まず、わが国の人口の推移と見通しを確認するところから始めることは多い。
人口の動きは、人口動態(出生、死亡、移動)で決まるので、ある意味ではシンプルに見える。しかし、足元で起きている人口動態が長い時間の中でどのような意味をもっているかをきちんと把握することは簡単ではないし、人口動態それぞれの背景には複雑に絡み合った社会経済的な要因があって、どうしてそのような現象が生じているのかを理解することはかなり難しい。
ときどきは人口学の基礎に立ち戻りつつ、少子・高齢化、そして人口減少について改めて考えてみることも必要ではないだろうか。
「人口転換」とそれに続く「少子化」
一般に、社会が近代化し経済的に豊かになるなかで「人口転換」が生じ、まず死亡率が、続いて出生率が下がり、多産多死型から少産少死型の社会に変化するとされる。日本でも1800年代の後半から2000年頃まで約100年かけて人口転換が起きた。
死亡率低下は、18~19世紀欧州の場合、経済機構の近代化と生活水準の上昇、適切な食糧供給、栄養状態、衣類・住居の質の向上、公衆衛生の改善がだいたいの定説とされるが、出生率の低下は、死亡率低下が牽引した(多くの子どもをもつ必要性の低下等)とする考え方、子どもの経済的価値(将来の労働力や老後の保障等)の減少と子育てのコストの上昇(養育・教育費用や機会費用等)に世俗化(宗教的影響から逃れた合理的・個人主義的行動選択等)などもあって生じたとする考え方など、いまだ論争があるようだ。
日本(及び他の多くの先進国や東アジアの国々)の大きな課題は、人口転換がほぼ達成された後も出生率が低下し、かなり長い間低い水準で推移していることだ。日本の合計特殊出生率は、1970年代の半ばから2を下回って低下傾向になり、その後かなり低い水準が続いている。若い世代の多くは結婚や子どもをもつことを希望しているが、その希望は十分に叶えられてはいない。