週刊文春(5月7日・14日合併号)で始まった新連載「心はつらいよ」で、臨床心理学者の東畑開人(とうはたかいと)さんが、挨拶がわりに「コロナ禍とメンタルヘルス」について説いている。芸能ネタなど「ホットで無害なニュースをバッサバッサと切っていく連載」を夢見ていたそうだが、初回がコロナというのはむしろ「らしく」ていい。
まずは連載を始める経緯や気構えを交えて自己紹介をひとしきり。そして...
「カウンセラーであり学者であるという、あまりに真面目過ぎるこれまでの人生を反省して、中年期以降は第2人格でお気楽に生きていこうと思っていたのだ」と告白する。
東畑さんは1983年生まれ。京大の教育学研究科で博士課程を修めた臨床心理の専門家だ。新連載で「別の自分」を打ち出すつもりが、コロナにより夢は砕かれ、専門ど真ん中からの文春デビューになってしまったと、こういうわけだろう。そして本題である。
「明日の予定くらいはわかっているけど、来週がどうなっているのか誰にもわからない、そんな事態がずっと続いている。それでも、毎日を生きて、日々を暮らしていかなくてはいけない。まったく見通しが立たない。私たちは今、そういう世界を生きている」
ひとたび専門領域に踏み込むと、Tシャツからネクタイ姿に転じたように、文体までが落ち着いて引き締まり、ぐいと引き込まれる筆致になる。文章は正直だ。
動かずに待てるか
見通しが立たない世界について、東畑さんは「心にとっては致命的だ」という。
「というのも、普段の私たちは、まるで予言者みたいに、未来を片目で見ながら暮らしているからだ...先がある程度見えているから、今を安心して生きることができる。日常には未来が含まれている」
未来が壊れると、人は茫然自失となり、日常が粉砕される。失恋、親友の裏切り、解雇通告などなど...コロナ禍も同じだという。
「私たちはまさしく壊れた未来を前に混乱している。電車は動くし、スーパーに食品はある。だけど未来だけがない。だから、日常はあるようで、なくなってしまっている」
未来が壊れた人は基本的に興奮しており、軽い躁状態にあるそうだ。頭が回転して、何かしなけりゃと思う。動かずにはいられなくなる。例えばスーパーでの買いだめである。
「そういうときに起こしたアクションは、大体うまくいかないし、むしろ事態を悪くすることも多い...『思い立ったが吉日』というけれど、それは安定した日常での話だ」
未来は見失われても、確実にやって来る。「緊急事態では、未来は手繰り寄せるよりも、待つ方がいい」...ここで必要な気の持ちようは「様子を見る」に尽きるという。しかし、危急の時に「様子を見る」には勇気が要る。その点「一緒に様子を見よう」と言ってくれる人がそばにいれば、不安は軽くなる。「1+1=0.5」となるのが不安の本質らしい。
「連日、首相や知事がメディアに出続けているのも、それが理由だ...Stay Home するには、つまり見えない未来を動かず待つためには、それを下支えする安心感が必要なのだ。それが今うまくいっているのか、いっていないのかは、私にはよくわからない」
専門家の言葉の重み
メジャー週刊誌での連載は、そうそう入れ替わらない。それだけに編集サイドは筆者の能力や実績を吟味するし、始まればロングランとなる企画も多い。
東畑さんは昨年末、『居るのはつらいよ』(医学書院)で第19回大佛次郎論壇賞(朝日新聞社主催)と第10回紀伊國屋じんぶん大賞を受けており、目利きの文春が新連載を託したのは不自然ではない。初回を読む限り、軟らかい話もイケそうだし、何よりご本人が意欲的だ。タイトルは「先が見えない新連載」と自虐的だし、結語は「あぁ、芸能人のスキャンダルをバッサリ切るような連載はいつになったらできるのだろうか」である。
このタイミングで連載を始める臨床心理学者が、コロナを素通りしたらむしろ不自然だろう。読者としても、まずは手慣れた分野で存分に書いてもらうほうが安心だ。
「未来が見通せない中で、焦って動いてもいいことはない。まずは様子を見よう」という結論にさほどの驚きはない。だが、様子見こそ「メンタルヘルスの最終奥義」と言われると不思議な説得力がある。専門家=その道のプロが発する言葉の重みである。
冨永 格