GINZA 5月号の「小さな料理 大きな味」で、平松洋子さんが「いわしバター」なるものを実に美味しそうに書いている。後述するが、私も自作の誘惑に勝てなかった。
イワシとバターの意外なマリアージュ。平松さんはこれを、フランスの作家シドニー=ガブリエル・コレット(1873-1954)の随筆で知ったそうだ。同性愛を含む性の解放を唱え、彼女自身も華麗な恋愛遍歴で知られたコレット。フランス文壇の重鎮として、最期は国葬で送られた。奔放な生活でも知られた、いわゆる「自立した女性」の先駆けである。
平松さんの目にとまったのは、1930年代、南仏はプロヴァンスでの日々を綴った文章だ。タイトルは「イワシのサンドイッチのおべんとう」。手づくりの昼食を携え、自転車でピクニックに出かけた思い出を記した作品らしい。
「あんまりおいしそうだったからすぐ作ってみたくなった。オイルサーディンはいつも数缶常備してある、バターもある、レモンもある、本を閉じたらすぐ作れる!」
食エッセイの名手、平松さんのレシピはざっと以下の通りである。
(1)油を切ったオイルサーディンをボウルで荒く潰し、レモン汁をかける
(2)軟らかくしておいたバター40gを混ぜ込み、塩コショウで味を調える
「いわしとバター、いっけん距離のある食材に思えるけれど、そうじゃない。この相性のよさを取り逃がしていたなんてうっかりしてたなあ、と私は歯噛みした」
潰しすぎず練りすぎず
作り方はいたって簡単だが、平松さん曰く、イワシを潰しすぎないこと。この青魚の繊維は太くカサつく。そこにバターがまんべんなく染み込むと「ねっとりふんわり、蠱惑(こわく)的な味」になるそうだ。ペースト状にはしても、練りすぎてはいけない。
「あまりなめらかだと、かえって面白くない。ボソボソの粗いいわしを、じゅうぶんやわらかくしておいたバターとふんわり合わせる感じです」
コレットに教えられて以来、平松さんはこれを何度も作り継いでガラス瓶に詰め、冷蔵庫のお宝にしているという。それをフランスパンにパテのようにつける。「最高に生かすのは、やはりバゲット。断面にぎゅーっと塗りこめてかぶりつく。切っただけのセロリとかラディッシュ、チーズがあれば何の不足もない。もちろんワインも忘れない」
「コレットが自転車を漕ぐ姿をまぶたに思い描く。ソーセージ入りパイ、りんご、白ワインを詰めた水筒、いわしとバターをはさんだパン。これらを携えて自転車にまたがって出かけたすばらしき日が忘れがたい、と彼女は書いていた」