25ans 5月号の特集「やっぱり『紙』が好き!」に、辻村深月さんが「紙が包む時間」と題した短文を寄せている。作家としての「紙愛」がにじむ一作である。
「電子書籍の台頭により、『紙で読む』ことが改めて見つめ直されている気がするけれど、私にとっては、『紙』は、『読む』ことと同時に、『書く』ことでもずっとお世話になってきた存在だ」...こう始めた筆者はまず、文学少女だった子ども時代を振り返る。
小説を読むだけでなく、書くほうも好きな小学生だったらしい。近所の文具屋でお気に入りのノートを選び、好きな作家の見よう見まねでストーリーを綴った。中学から高校へと進むと、小説の執筆はノートからルーズリーフ、レポート用紙にかわる。
「授業中、教科書やプリントの下にこっそり敷いて、先生に隠れて書くのに都合がよかったからだ。今思い返しても、人生であんなに小説を書くのが楽しかった時期はない」
誰かに頼まれたわけでも、お金のためでも賞狙いでもない。書きたいという思いだけに突き動かされた青春期のレポート用紙200枚超は、後に改稿されてデビュー作となる。真っ白だった紙たちは、二十数年を経て端が黄ばんでいるそうだ。
「紙が年月とともに風合いを変えていくことを、私は『劣化』だとはまったく思わない...私に限らず、『紙』を愛する多くの人に、これは共通する認識だと思う」
歳月に伴走して
黄ばみを含めて紙を愛する辻村さん。意外や古いタイプの文人なのかもしれない。デジタルのデータは、操作ミスや事故で消えることはあっても、時の仕業で劣化したり、読みづらくなったりすることはない。それを安定と見るか、味気ないとみるか。
「紙は、歴史を帯びる。その紙が生まれ、インクの文字や絵が刷られたり、誰かの書き込みが入る時、紙はそれらをタイムカプセルのように包んで、次の時間に運んでくれる」
辻村さんはここで、「思い出とともに歳月を経た『紙』の心あたり」が部屋のどこか、たとえば引き出しの中にあるはず、と読者に語りかける。彼女の書棚には、10代からのノートや手紙がたくさんあるという。どんな気持ちでそのノートを選んだのか、どの便せんで返事を書いたのかなど、見るたびにもろもろを思い出すそうだ。
「今とは好みが違っても、模様や色合いの向こうに、当時の私の時間が、確かにある。それらが歳月を経て貫禄を増してきたことは、『紙』が私の時間に伴走してきたことの何よりの証だ。だから、やはりとても誇らしく、懐かしい」