週刊プレイボーイ(3月30日号)の「真実(ほんとう)のニッポン」で、作家の橘玲(たちばなあきら)さんが新型コロナウイルスの騒動を独自の視点でとらえている。このウイルスをどれほど恐れ、怖がるかで、それぞれの秘められた性格が見えてくると。
「電車に乗ると、マスク姿の乗客に交じって、マスクをせずに吊革につかまりスマホをいじっているひとがいます。こういうときに、パーソナリティーの多様性を実感します」
橘さんによると、近年の心理学では、人間の性格は大きく五つの要素で分析され、いずれも偏差値のような正規分布を示すそうだ。つまり平均近く(普通)が最も多く、両極にいくほど少なくなる。グラフにすれば左右対称に近い「ベルカーブ」を描く。
五要素のひとつ、代表的なパーソナリティーに「神経症傾向」がある。
「世の中には極端に不安を感じやすいひとと同時に、極端に不安を感じないひとがいる...こういうタイプは生きていくのに不都合があるわけでもなく、かといって目立つわけでもない...のですが、感染症のような非日常では可視化されるのです」
個々の不安感がばらつくのは、進化論的に二つのサバイバル法があるからだという。橘さんは、たとえ話に「旧石器時代のサバンナで、果実がたわわに実る茂みを見つけた群衆」を持ち出す。不安感の低い人たちは歓声を上げて駆け寄り、たらふく食べる(生存戦略1)。しかし茂みに空腹のライオンが潜んでいたら、彼らは格好の餌食になるだろう。
その状況で生き残るのは「集団から遅れ、こわごわとあたりを見回している」不安感の強いグループだ。おいしい果物は食べ損ねても、命を落とすことはない(生存戦略2)
トイレ紙に殺到する人々
「ふたつの生存戦略が並立するのは、環境によってどちらが有利かが異なるからです。捕食動物が少なく食料の多い地域なら、『不安感の低いひと』は圧倒的に有利です。トラやライオンがうようよしている地域で生き残るのは、『不安感の強いひと』です」
長い進化の過程で、人類はどちらの環境下でも種総体として適応できるようになった。現代人の「怖がり度」も、だからきれいな正規分布になるらしい。
旧石器時代に比べ、人が動物に食べられることはまれだ。先進国なら戦争や内乱も少なく、殺人事件の件数も限られ、世の中はかつてより安全になっている。
「ところがヒトの遺伝子はそうかんたんに変わらないので、いまでもサバンナの猛獣におびえていた頃と同じように強い不安を感じるひとが一定数います。神経症傾向が高いと、現代社会ではとても生きづらいのです」
不安感が強い人は、些細なことでも「生存の脅威」に突き動かされ、不安を鎮めるためにどんなことでもする。症状も出ていないのに「検査してくれ」と保健所に怒鳴り込む人、感染症予防とは直接関係がないトイレットペーパーやティッシュ、果てはキッチンタオルまでを求めて行列に並ぶのはこのタイプだという。
「そう考えると、目の色を変えて買い占めているひとをすこしは温かい目で見られるようになりませんか?」