「街の中で暮らす人たちの息遣いとか葛藤とか...」
話を「街っ子」に戻そう。
「都会」と「街」はどう違うか。
オフィスビルやホテルなどの高層ビルが立ち並び、高級店がしのぎを削るのが「都会」だ。人々はどこか身構えてよそ行きな表情で通り過ぎて行く。「街」はそうではない。通学の学生もいれば買い物する主婦も家族連れもいる。そこには「生活」がある。
ゆずのライブを見て何よりも感動したのは、その「人好き」にあった。聞き手と仲良くなりたいという「人懐っこさ」。「庶民性」というだけでは収まらない気遣い。コンサート開演前に客席に「ラジオ体操」が流れるのもその表れだろう。客席も警備のスタッフも全員がラジオ体操をする。夏休みや休日に商店街の広場でみんなが集まってするようにだ。雰囲気がくつろいだところに二人が登場してライブが始まって行く。
客席には中高生はもとより若いカップルや家族連れ、更には未就学児童を交えた三世代組も少なくない。誰もが屈託ない笑顔で一緒に歌ったり身体を動かしたりしている。その幅広さは変わらないどころかますます広がっている。それは、コンサート会場の光景というより、そこに一つの「街」が誕生しているようでもある。
もちろん変わったことはある。
何よりもライブの規模はデビュー当時とは比較にならない。すでに東京ドームは2000年の「ふたりのビッグ(エッグ)ショー」以来4回を数え全国ドームツアーも2回行われている。地元横浜では日産スタジアムや横浜スタジアムでも歌った。
同じドームコンサートでも毎回趣向が変わる。約30万人を動員、日本のコンサート史上初めてだった去年の弾き語りドームツアーは、路上の延長のように素朴なステージだった2000年と違い、壮大な照明やセットにテクノロジーを駆使したまさに進化形という印象だった。
ただ、そうやって規模や環境が変わって行く中で、二人のライブへの取り組みは全く変わらないようだ。
初めて彼らを見た時、ともすれば業界的な覚めた目で見るこちらの肩を両手で揺すり続けるような一途な熱に胸を打たれた。なかなか開かない扉を力の限り叩き続けてゆく完全燃焼はもはや「フォークやロック」というジャンルを超えている。
新作「YUZUTOWN」は、彼らのそんな軌跡を再認識させるようなアルバムだった。
北川悠仁は、オフィシャルインタビューの中で、テーマを決めずに曲を作って行った中でこうなった、とこんな話をしている。
「大きな『国』や『世界』ではなくて、街の中で暮らす人たちの息遣いとか葛藤とか、出会い別れ、そういうものを表現している曲が多かったということが『TOWN』というコンセプトに結びついていったんです」