「恋の男女同権」
なぜ松田聖子が80年代を象徴する存在になったのか。他のアイドルとどこが違ったのか。松本隆は、彼女を通して何を表現しようとしてきたのか。
テーマは二つあったのだと思う。
一つは80年代という時代の「風景」である。
70年代の長髪とジーンズとは違う若者風俗。80年12月に出た松任谷由実のアルバム「サーフ&スノー」で描かれたリゾート感覚。スキーやスケートなどのウインタースポーツやサーフィンなどのマリンスポーツ。70年代の「神田川」的生活感を一掃したアメリカの青春映画のような甘酸っぱく色彩感豊かな世界。それを支えていたのが松本隆と同じ洋楽世代の作家の曲でありミュージシャンの演奏だった。
もう一つは「生き方」である。
"あなたに女の子の一番大切なものをあげるわ"と歌った70年代を代表するアイドル、山口百恵とは違う女子の「主体性」。松本隆の言葉を借りれば「恋の男女同権」。海外の一人旅もすれば、恋の駆け引きも心得て相手を振り回したりもする自由でコケティッシュな女の子。「風立ちぬ」で失恋にもめげずに"一人で生きてゆけそう"と歌った健気さ。「赤いスイートピー」で"あなたの生き方が好き"と歌っていることを見落としてはいけない。
「赤いスイートピー」の入ったアルバム「pineapple」は松田聖子が20才になった1982年に発売された。その中に「生きる」「生きてく」「生き方」という言葉が使われている曲が3曲ある。20代をこうやって生きていきたい。そんな問題意識を歌ったアイドルは、それまでいなかったと断言していい。
松本隆は、「アイドルと成長」という言葉を使った。歌い手も聞き手も同じように大人になってゆくのだからそれに合わせて歌の内容も変わっていかなければいけない。松田聖子の80年代の歌は、そのまま80年代の青春の成長の軌跡そのものでもあった。
松田聖子は今年がデビュー40周年。一連の回顧ムードの中で彼女が他を寄せ付けないのは、単にヒット曲の数ではなく、彼女が歌いこなした青春がそれだけ「時代の輝き」を備えていた、ということなのではないだろうか。松田聖子を語ることは「80年代的青春」を語る事でもあるのだと思う。
(タケ)