週刊文春(2月13日号)の「いま なんつった?」で、宮藤官九郎さんが芸能人の不祥事について、自らに引き寄せて書いている。実感がこもったコラムである。
「今に始まった事じゃないけど、俳優が不祥事を起こすと『出演ドラマは予定通り放送か』とか『CMは放送自粛か』とかネットニュースが先回りして騒ぎ始めます」
宮藤脚本による昨年の大河ドラマ「いだてん」でも、そんなことがあった。
「後追い記事がバンバン出ると、いつの間にかそれが世論となり、正論のような気がしてくる。降板、謹慎という明確なオチを期待し、それを見届け、やっと留飲を下げる目に見えぬ人々。その中に自分も含まれていると思うとゾッとしますね」
上記の「その中に自分も」とは、ターゲットになる芸能人の中に、という意味だろう。
実は宮藤さんも、1年以上前からシーバスリーガルの広告に起用されている。スコッチウイスキーの世界的ブランドだから、いわば「日本での顔」である。
「六本木あたりにデカい看板が出てたり、迂闊に地下鉄に乗ったら車内じゅうの中吊りが俺の顔だったりする。有り難いけど、正直落ち着かない」
有名人のスキャンダルがあれば「イメージを重んじるコマーシャルは特に迅速な対応を求められます」とみる筆者。ここで、自らを戒めるべく「自分は何をやらかしたら日本の顔から引きずり下ろされるのだろう」と、シミュレーションに入る。
酒がらみの失敗は致命傷
「飲酒運転は一発アウト...不倫は微妙だ。いや、ダメなんだけど、危険な男にはウィスキーが似合うもの。ホテルのバーでロックグラスを傾けながらそっと美女にルームキー渡したりしてみたい...しかしお酒の力を借りた不倫となると、家庭にもシーバスリーガルにも迷惑がかかる」。ぬぬぬ、こうなるとシミュレーションというより妄想に近い。
「酔って暴れるなんてもってのほかですよ。脱ぐのもダメ。未成年者にお酒を勧めるとか絶対ダメ。かと言って禁酒、断酒もそれはそれでダメ。『僕は体調を崩して飲んでいないけど、シーバスリーガル美味しいらしいですよ』なんてCM見たことない」
すなわち「日本の顔」のあるべき飲酒生活とは、おいしく飲めるだけの健康体を保ちつつ、深酒は控える。酔って羽目を外すこともない。休肝日を設けながら、奥さんや成人した仲間と適量を楽しくやり、終電までに帰る...だいたい、そういうことになる。
「実際その通りなんだけど、なんか、つまんない男みたいだなぁ」
先ごろ韓国料理屋に入ったクドカンさん。メニューにシーバスを見つけ、迷わずハイボールを注文した。「顔」としては条件反射である。すると「肝っ玉オモニという風情のおかみさん」が奥から出てきて、興奮気味にこう言ったそうだ。
〈いつかアナタが来ると思って入れたのよ〉
愚行と芸を切り分けて
この決めぜりふに続き、宮藤さんの「マジすか!」という言葉で本作は終わる。自分が宣伝している商品を店に置いてくれたことへの感謝と、自分のカオがそこまで世間に知られている現実への狼狽。二つがブレンドされた正直な「マジすか!」だろう。
私も長らくメディアで仕事をしてきたが、幸いそれほど顔を知られていないという意味では「無名」のカテゴリーに入る。だから、新聞社をやめてからは晴れて自由人である。それに比べ、名も顔も売れた人たちの苦労と緊張は大変なものだと思うのだ。
宮藤さんは、制作者の立場から「日本だと謹慎、すなわち仕事を奪われる事が罰と見なされる。やっぱ芸能の仕事ってラクして儲けてると思われてるんだろうか」と嘆く。
昨今は、何かあれば未公開の作品や番組がお蔵入りの危機に晒され、昔の出演作にまで累が及ぶことさえある。作品を丸ごと葬るなど、私だって納得いかない。
もちろん俳優だろうが芸人だろうが、有名人だからといって甘やかすことはない。ナントカは芸の肥やしと許される時代でもなかろう。ただ、愚行と「芸」は可能な限り、それがオンリーワンならなおさら、ギリギリのところまで切り分けて評価したい。
冨永 格