オレンジページ(2月17日号)の「晴れの日散歩」で、角田光代さんがマラソンと食欲の関係を書いている。フルマラソンに挑むようになって9年、ふだん食は細いほうだが、走った翌日の夜は「いくらでも食べられる」というのだ。
「私は幾度となく、自分の胃がいかにヘタレか書いてきた。とにかく量を食べられない。食べ過ぎると待っているのは快楽ではなく、苦痛、しまいには発熱...」
友人たちとの外食では、何を食べて何を食べないかに心を砕く。和食なら〆のごはんを一口でも食べたいから、例えば煮物を飛ばし、洋食ならメインの料理にたどり着くためサラダを誰かに譲ったり。そんな角田さんが「夢の大食い」になれる日が、年に一度か二度ある。フルマラソンを完走した日と、その翌日である。
「どんなに飲んでも酔っ払わない...食べても食べてももの足りない気がする...当日の夜より、翌日の夜のほうが、よりたくさん食べられる。しかも通常の五倍くらい食べられる、とはっきり気づいたのは一昨年である」
逆に言えば、「いつもの五倍の量を食べたいもの」を食すチャンスなのだ。角田さんの場合、食べたいものはピザだという。いつもは一枚食べきる自信がない。だから、好きなのに外で食べる機会がまずないと。
満腹なのに苦しくない
毎年参加しているマラソン大会の翌日、角田さんは友人たちに声をかけ、住まい近くにあるピザの名店に乗り込んだ。ピザだけでメニューが6ページもある専門店である。大きなピザは八つに切り分けた状態で客に供される。
「一枚目を食べながら二枚目について相談し注文し、一枚目を食べ終わるころ二枚目が登場し、それを取り分けながら三枚目について相談し注文し、ワインが一本空いてもう一本注文し、三枚目がやってきて四枚目について意見を交わし合う」
結局、五枚目で「脱落者」が出て、そこでストップしたそうだ。
「この興奮と至福は、私がめったに味わえないものだ...しかもぜんぶ違う味、ぜんぶおいしい...まだまだいける。しあわせすぎてもう泣きそうだ...満腹だが、苦しくはない。満腹なのに苦しくないってことにも感動してしまう」
42.195キロは苦しく、毎回、来年はやめようと思う筆者は、エッセイをこう結ぶ。
「でもこの大食い気分だけは味わい続けたいとせつに思っている。来年もまた、食べたいから走ってしまうのだろうか。本末転倒のような気もする」