タケ×モリの「誰も知らないJ-POP」
「URC」という言葉でピンと来る人はまずいないだろう。音楽ファンの中でも70年代に関心のある人以外は馴染がないに違いない。1969年に発足した日本で最初の大規模なインディーズレーベルの名前だ。正式名称を「UNDER GROUND RECORD CLUB」。「アングラ・レコード・クラブ」ともいわれた。その頭文字をとって「URC」となった。
とは云うものの、そこに所属していたアーティストやバンドの名前を見れば、印象が変わってくるはずだ。アイウエオ順にあげてゆくと、五つの赤い風船、遠藤賢司、岡林信康、加川良、金延幸子、斎藤哲夫、シバ、高田渡、ザ・ディランⅡ、友部正人、はっぴいえんど、早川義夫、ザ・フォーククルセダーズ、中川五郎、三上寛、柳田ヒロ、休みの国、などである。
「URC」は知らなくても70年代に少しでも関心のある人なら一度は聞いたことのある名前ばかりだろう。
そういうアーティストが所属していたレーベルが、去年、50周年を迎えた。
「1969年」も「2019年」も同じ土俵
2020年2月19日、50周年記念の第一弾として3枚組ベストアルバムが発売になる。前述のアーティストの曲が51周年にちなんで51曲が収録された三枚組。そのタイトルはこうだ。
「青春の遺産」ーーー。
URCが発足するきっかけは、前述のアーティストの作品がメジャーなレコード会社から発売出来なかったことだ。最も大きかったのは68年に発売される予定だったザ・フォーククルセダーズの「イムジン河」が政治的な理由で発売中止になったことがある。
自分たちが歌いたい歌がメジャーで出せないのなら、そこに頼らずに世の中に送り出すために作った自主制作販売組織。69年2月の第一回配布シングルは「イムジン河」。歌っていたのは訳詞の松山猛とアマチュア時代のフォークルのメンバー。ディレクターは、プロになったフォークルの北山修。つまり「イムジン河」のリベンジだった。
ただ、会員制自主販売組織として始まったものの、入会希望者が殺到、8月からは全国のレコード店と直接販売契約を結ぶようになった。今のインディーズの形である。
そこから50年が経った。
今、なぜURCなのか。
二つの理由がある。
一つは、音楽の聴き方の変化だ。
配信の普及は、音楽から「新旧」という概念を取り払った。若い聞き手にとっては「1969年」も「2019年」も同じ土俵と言っていいのだと思う。自分の知らない曲は全て「新曲」という受け止め方。同時に、ジャンルや時代に対しての先入観や偏見のなさだ。
二つ目は、震災以降、音楽の「役割」が変わってきたことがある。音楽だけではない。若者たちの意識と言っていいだろう。
2011年3月11日の東日本大震災は彼らの「人生観」を大きく変えたのではないだろうか。音楽関係者やミュージシャンでもそうだ。音楽に何が出来るか、自分と社会との関係について考えざるを得なくなった。
去年、80年以上前に発売された吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」の漫画がベストセラーになったのも、そうした状況の反映なのだと思う。
そういう人たちに、50年前のURCの音楽がどう聞かれるか。彼らに知ってほしい、ということが最大の意図と言っていい。
それはURCだけではない。
60年代から70年代にかけてのフォークやロックの曲には大きな特徴がある。
それは「個人的」なことだ。自分の喜怒哀楽。日記のような身の回りのことや古い友人にあてた手紙。同人誌に乗せるような実験的な詩、世の中に向けた激しいメッセージもある。「商業主義」を意識しない、ということは、「定石」や「定型」がない。どれもその人にしか作れない、その人にしか歌えないものばかりだ。
更に、である。
これが何よりも重要なことなのだが、誰もが若かった。10代の終わりから20代の前半。最も多感な年齢に書かれた歌ばかりだ。DISC3の最後、アルバム51曲目の「私たちの望むものは」は、岡林信康が23才の時に書いたものだった。
「自分たちの歌がない」
音楽から「時代」が消えた、と書いた。
でも、「歌は世に連れ」というように、その時代の歌には、その時々の世相は色濃く反映している。
URCが発足した1969年は戦後史の転換点だった。1月に東大安田講堂が陥落し、全国の大学・高校に展開されていた学園闘争が終息、8月に岐阜県中津川市の椛の湖畔で「第一回全日本フォークジャンボリー」が行われた。アメリカでウッドストックが行われる一週間前だ。政治から音楽へ、という流れが始まった年だ。行き場を失った若者たちの「自分たちの歌がない」という不満が、「自分の歌を」という新しい動きにつながって行った。
つまり、URCの音楽は、50年前の若者たちの「どう生きるか」という模索の産物でもあった。
URC50th三枚組「青春の遺産」はそれぞれのDISCに選曲のテーマがある。DISC1は「人生と暮らしの歌」、DISC2が「旅と街の歌」、DISC3が「愛と平和の歌」だ。
DISC1に収められている、日本語のロックの元祖・はっぴいえんどの「春よ来い」は、バンドを組んだばかりの当時の彼らのドロップアウトの歌だ。加川良の「下宿屋」は、裸電球の下宿屋での仲間とのことを歌っている。その登場人物の一人でもある高田渡は、「豊かさとは何か」を問い続けた詩人だ。彼らが問いかけたことが、今の若者たちにどう響くか。斎藤哲夫の「悩み多き者よ」は、今の受験生にこそ聞いてほしいと思う。
DISC2の「旅と街の歌」は、ヒッチハイクで旅をしながら歌っていた「旅の詩人」・友部正人の「まちは裸ですわりこんでいる」で始まっている。全国が東京化してゆくことへの怨念のような、青森出身の三上寛の「青森県北津軽郡東京村」は今の日本の姿だろう。大人になるための第一歩が旅に出ること、というのは50年前も今も変わらないはずだ。DISC3の「愛と平和の歌」は、「戦争と愛の歌」と言い換えることも出来る。「戦争を知らない子供たち」が歌った「愛と戦争」はまさに21世紀の歌だ。
時代は変わる。歌った人は逝ってしまう。でも、歌は残って行く。50年前の若者たちの「どう生きるか」という歌が、令和の若者たちにどう届くか。
URC50周年。ここに収録されている人たちの多くがすでに鬼籍に入ってしまった。「遺産」というタイトルがついているのは、そういう理由もある。
青春は短い。でも、そこでの喜怒哀楽は永遠なのかもしれない。
(タケ)