現代の入試やコンクールでも「必ず」課題に出される
そして、2点目は、今日取り上げたOp.10は、大部分がワルシャワ時代に書かれていた、という事実です。パリに落ち着いて書かれた以後の作品は、もちろん、パリにおいて交わった作曲家や、そこで聞いた最先端の音楽の影響、ということも考えられますが、Op.10の12曲に関しては、「20歳そこそこの、ポーランドという音楽的には田舎だった都市をほぼ出ないで書いた」ということなのです。これには「天才」という言葉でしか説明がつけられません。
実際、ピアニストの観点から見ても、ショパンの練習曲集を超える芸術性を持った曲集は存在しないと思います。
この曲は、パリですでに超絶技巧ピアニストとして、作曲家として有名だったフランツ・リストに捧げられています。当然「ピアノの魔人」リストも練習曲をたくさん残していますが、やはりテクニックが全面に押し出された派手な曲が多く、心に沁み入るようなショパン作品の前では分が悪いと言わざるを得ません。
体力がなかったために、自ら演奏会を開くよりは、ピアノの個人教授のほうが仕事として好きだった、といわれるショパンですが、当然、自作の「練習曲集」も課題として生徒に与えられていたことでしょう。以後、数え切れないピアノ学習者がショパンの練習曲に取り組んでいるわけです。
弱冠20歳の天才が残した「練習曲」がピアノと音楽の歴史に、計り知れないほどの大きな貢献をしているのです。
現代の入試やコンクールにおいて、「練習曲」の課題曲として、他の人、つまり、リストやスクリャービンやドビュッシーやラフマニノフ・・・彼らもいずれも「ピアニストであり作曲家」でした・・・・の「練習曲」作品が選択的候補に挙げられることがありますが、ショパンの練習曲だけは、「必ず」「マスト」で課題に出されます。
この事実からも言えますが、ショパンの練習曲集を超える名練習曲は、まだ現れていない、と多くの人が感じているようです。
本田聖嗣