睡眠薬に頼る高齢者 里見清一さんは「熟睡の心地よさ」を断てと

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   週刊新潮(2月6日号)の「医の中の蛙」で、日赤医療センターの里見清一さんが高齢者の睡眠薬依存と、それが命を縮めるリスクに警鐘を鳴らしている。

   里見さんによると、睡眠薬や抗不安剤に使われるベンゾジアゼピン系の薬剤は、高齢者には効きすぎ、ふらつきや転倒を招きやすい。怖いのは転んでの骨折、中でも折りやすいのが大腿骨頸部だという。スキーで骨折した若者とは違う「地獄」が待つそうだ。

「そのままにすると痛いし動けないので、90歳だろうが100歳だろうが手術するしかないが、もちろん麻酔をかけて手術するにも大きな危険が伴う...最近の整形外科病棟は動けなくなった年寄りのうめき声で充満している」

   里見さんが紹介する朝日新聞の記事(2019年12月)は、ベンゾジアゼピン系薬剤の使用は女性で80~84歳、男性では85~89歳が量的なピークだとする。

「要するに極めて危ない人たちが最も多く飲んでいることになる」

   より安全に使える他系統の睡眠剤もあるのだが、「効きがいい」と人気らしい。

  • 薬に頼り過ぎるのは…
    薬に頼り過ぎるのは…
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動機は熟睡の快感

   このエッセイは昔話から始まっている。地方の薬剤師会に講師で呼ばれた里見さんは、まだ前の講演者が話している途中で会場に入った。そして「最初から聞けばよかった」と後悔する。講演者はある精神病院の院長、テーマは高齢者への睡眠薬処方だった。

   その院長先生は、依存症を防ぐには〈薬を飲ませなければよい。それには、睡眠薬でぐっすり眠れたという快感を年寄りに味わわせないのが一番〉と言い切ったそうだ。

〈睡眠薬なんてのは、海外出張の時に時差ボケ対策に使うくらいのものである。だいたい、明日の仕事がない人間が、夜よく眠る必要なんかない〉

   これを聞いた里見さんは「まことに至言」と深くうなずいた。

   不眠は辛く、熟睡が心地よいことは誰もが知っている。「依存症の源というか『クセになる快感』をもたらすものは、実は薬物ではなく、睡眠そのものなのである」

   かの院長先生によると、ある患者に睡眠薬を与えて「熟睡」させると、周囲の老人コミュニティでクスリ仲間が増える。処方された睡眠薬を配ってしまうこともある。

   「朝日(の記事)は『安全性への配慮が十分にされないまま(薬が)出される』と医療者側を責めるトーンだが、これはどっちもどっちであって、患者の方が薬をほしがるという要素も強い」と書く里見さん、同時にこうも考える。

「転倒や骨折は将来の可能性であり、不眠は、それに比べてマイナーな問題だとしても、現在の苦しみである。これは行動経済学でいう『時間選好』に相当する人間の性質で、そう簡単には修正できない」

   そして以下の通りに結ぶのだ。

「あの院長先生が、そこをどうやっておられたか、薬を求める老人をどう納得させるのか...聞き逃した講演部分にそれがあったかも知れないと思うと、残念で夜も眠れない」

落語のようなオチ

   終盤に出てくる〈時間選好〉とは、「将来に消費することよりも現在に消費することを好む程度」らしい。あさっての1000円より今すぐ500円、みたいな話だろう。よく効く睡眠薬を求める老人たちは、いずれ転倒して骨折するかもしれない「地獄」に目をつむっても、今夜の熟睡を欲するものだと。私も、その思いが分かる年代に入りつつある。若い頃の「あ~よく寝た」という感覚を久しぶりに味わいたい。転ばない睡眠薬がほしい。

   そこをどう説得するのかは、臨床医の思案のしどころであり、医学者としての関心事でもある。もしかしたら、その経験談をわずかの時間差で聞き逃したかもしれない。そう思うと眠れない(睡眠薬のお世話になっちゃおうか)...という落語のようなオチである。

   里見さんクラスの書き手なら、右手で医学のウンチクを傾けつつ、左手でエッセイとしての面白さを追求するといった芸当は、さほど難しいことではない。そこに「高齢者の睡眠薬依存」という目下の医事トピックをはめ込んだところが手練れの技である。

   日野原重明さん(1911- 2017)や鎌田實さんがすぐに浮かぶが、医療現場に携わってきた名エッセイストは多い。生死を含む個々の人生、喜怒哀楽にのべつ寄り添っていれば、観察力や表現力が自ずと磨かれるのだろう。

   では、観察力と表現力が欠かせない文筆家に医師の資質が自ずと備わるかといえば、残念ながら否だ。逆立ちして睡眠薬を飲んでも、目が冴えることはないように。

冨永 格

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