UEFAのチャンピオンズリーグのアンセムに
英国王家の式典音楽は外国人が担当してはならない、という法律があったにも関わらず、アン王女はそれを曲げて、ヘンデルに作曲依頼をし、彼は「アン王女誕生日のためのオード(頌歌)」という曲を、1713年に作曲します。更にそれを気に入った王女は、スペイン継承戦争の終わりを記念する音楽をヘンデルに依頼し、それに立派な作品で応えたヘンデルは外国籍のまま「英国王室公式作曲家」となります。
他方、女王によってオペラ座支配人を紹介されたヘンデルは、劇場のためにも、「リナルド」などの名作オペラを生み出し、人気オペラ作曲家としての地歩も着々と築いていったのです。
まだまだ外国人という立場で、ロンドンのヘンデルはおそらく悩んだはずです。教会や宮廷のための宗教音楽や典礼音楽という分野に特化するか、ロンドンという経済的に勃興する都市の民衆向けオペラに傾注するか・・・そして、ハノーファーに決別して、英国にとどまるか、行ったり来たりするかも・・・と決断すべき要素がたくさんありました。
そして1714年、アン女王が逝去し、なんと、その後をハノーファー選帝侯ゲオルグ・ルードヴィヒが継ぐことになります。英国王ジョージ1世として、即位するのです。ハノーヴァー朝の始まりです。第一次世界大戦のとき敵国の名前はまずいと、ウィンザー家と改称されていますが、基本的に現在まで続く英国王家の血筋です。今回のブレグジットを皮肉ったBBCの教育用動画でも、ヴィクトリア女王に扮した女性に紅茶をサーブする男性が「紅茶はインド由来、砂糖はカリブ海から、そして女王ご自身も外国から!」と言っていますが、まさにこのことを指しています。
そして、ドイツから来たハノーヴァー朝初代ジョージ1世のもと、1723年には王室礼拝堂作曲家にも任命され、いよいよ英国での活躍の場が広がってくると、1727年2月、英国に帰化して「ジョージ・フレデリック・ハンデル」となります。そして、その年の6月、ジョージ1世が没すると、次のジョージ2世の戴冠式のために、壮大なアンセム(もとは英国聖公会の賛美歌・・転じて儀式・典礼のときなどに使う讃歌)を作曲します。
4曲ある曲のうち、特に豪華な響きとともに始まる1曲目の「司祭ザドク」は、旧約聖書、ダビデ王の時代に生きた司祭を描写した一節が歌詞として採用されています。ザドクは、名君主として評判の高いソロモン王に聖油を注いで戴冠させた司祭であり、英国王室の戴冠の場にふさわしい題材として選ばれたのです。実際の戴冠式では、ヘンデル以外の作曲家の作曲した作品も当然使われたのですが、実際にジョージ2世が聖油を注がれて聖別される時に作曲者ヘンデル自身の指揮によって演奏されたこの曲は、大評判となり、その後の英国の王の戴冠式では必ず演奏される慣例となりました。
ヘンデルは、この曲によって、英国風の合唱曲・・それは言ってしまえば「パーセルスタイル」ともいうべき形式ですが・・・を作曲できることを証明して見せ、いわば、「真の英国の作曲家」として地位を揺るぎないものにしたのです。
歴代の王の戴冠式を彩ってきた「司祭ザドク」は、アレンジが加えられて欧州サッカー連盟、略称UEFAのチャンピオンズリーグのアンセムとしても採用されています。日本でもサッカーファンなら必ず耳にしたことがある名曲です。アレンジバージョンでは、英語、仏語、独語の歌詞が付けられてUEFAらしい「国際的なアンセム」となっていますが、そのオリジナルは、「史上最初の、正真正銘の国際的作曲家 G.F.ハンデル」の、記念碑的作品なのです。
英国がEUを離脱したいま、あらためて軽々と国境を超え、「音楽に国境はない」を実践した、「真の国際人ハンデル」に思いを馳せながら、聴いてみたい名曲です。
本田聖嗣