中国で新型コロナウィルスによる感染症が発生して、前代未聞の中国政府による人々の移動制限、ということになりました。ちょうど中国では春節の休暇時期で、大勢の人が海外旅行にでかけますし、国内でも大移動が行われる時期ということで、すでに旅行中の人も多く、政府の初動対応の遅れが感染を広げた、などという報道も出ています。ようやくかの国ならではの強権的な移動制限がかけられたところで、これから流行が沈静化に向かうことを願っています。
本来なら楽しい旅の時期・・ということで、旅の時に利用する宿泊施設「ホテル」という題名の歌曲を今回はとりあげましょう。作曲したのはフランス近代を代表する作曲家であり、「フランス6人組」の一人、フランシス・プーランクです。詩は、シュルレアリスムの詩人、ギヨーム・アポリネールによって書かれました。
生涯フランスとパリの賛美者だった
1899年パリの中心地に生まれたプーランクは、20世紀前半のフランスを代表する作曲家で、フランス音楽の伝統を引き継ぎながら、世界中のあこがれである「花の都」パリの洒脱なセンスを音楽に込めました。フランス作曲家の諸先輩、ドビュッシーや、ラヴェルが、東洋やアラブ世界などの「異文化」の香りに魅力を感じ、その憧れを原動力として数々の名曲を作り出したのと対照的に、プーランクは生涯フランスの、そしてパリの賛美者でもありました。実際に彼が生きた20世紀前半は、2度の大戦があり、19世紀末にパリで花開いた文化の輝きは、破壊や経済的疲弊によって徐々に失われてゆく・・というつらい時代だったのですが、プーランクは、時にコミカルに、時にシニカルに、そしてまたある時は何とも言えぬ影を帯びたハーモニーを持った曲たちを生み出していきます。彼は室内楽、オペラ、ピアノ、と幅広い作品を残しましたが、何と言っても白眉なのは歌曲作品です。ピアノが上手だったプーランクは、盟友ともいうべき歌手たちと、演奏会も行っており、現在でもその映像を見ることができます。
プーランクが、その「都会的かつ現代的なのだが、どこかノスタルジーを漂わせた歌曲」を生み出すにあたって、特にひいきにした詩人は、ギヨーム・アポリネールでした。ローマ生まれで、ロシア貴族の血を引くアポリネールは、ヴィルヘルム・アポリナリス・ドゥ・コストロヴィツキという本名で、ポーランド人でした。しかし、19歳でパリにやってくると、アポリネールの筆名で斬新な詩や文章を(時には匿名で)発表し、「新しいフランスの芸術」をリードしたのです。過激な作品は時には発禁処分を受けたりしましたが、フランス文化が根源的に持つ「権力への抵抗」という要素と彼の作品が響きあったか、アポリネールは時代の寵児となります。
「ぶっ飛んだ」表現の詩に魅力を感じた
本質的に外国人であったアポリネール・・・・絵画におけるピカソも、パリで活躍しましたがスペイン人でした・・・と対照的に、プーランクはフランスの作曲家には珍しい、「パリのど真ん中の出身」でした。パリは、国外からやってきた人たちによって革新性が生まれ、さらにそれがパリの活力になる・・というパターンがあるのですが、生まれも育ちもパリのプーランクは、若いころから「異邦人」アポリネールの詩、いわば「ぶっ飛んだ」表現の詩に魅力を感じ、曲をつけてゆきます。
「ホテル」は、アポリネールの詩に曲を付けた「月並み」という歌曲集の中の1曲です。
鳥かごの形をしたホテルの一室で、主人公がリラックスしているだけ・・・歌詞によると、「太陽が腕を突っ込んでくる」とありますから、直射日光でその部屋は暑い様子です。そして、その太陽の熱でタバコに火をつけたい、仕事なんてしたくない・・・という、ほんとうにシンプルかつ「だらっと」した内容の歌詞なのです。まあ、エアコンがない時代の、日光が降り注ぐ部屋の暑さは、かなりなものかもしれません。それを一編の詩にしてしまうアポリネールもアポリネールなら、そこに、大げさなぐらいゆったりと、味わいが深く、どこかけだるさを感じる和音を重ねてゆくプーランクの腕前も見事です。
演奏時間わずか2分に満たない歌曲ですが、聞いた後に、なんとも味わい深い雰囲気をじんわりと残してくれる不思議な魅力に満ちた1曲です。
「月並み」の中には、「パリへの旅」という、旅へのあこがれを歌い上げた曲や、さらに人生を感じさせてしまう「すすり泣き」といった曲もあるのですが、彼の歌曲はどれもが魅力的なため、また機会を改めてそれぞれご紹介したいと思います。
本田聖嗣