週刊文春(1月23日号)の「出口治明の0(ゼロ)から学ぶ『日本史』講座」で、出口さんが「江戸時代は、トータルで見ると日本の長い歴史の中では最低の時代だった」と書き出している。なかなかのインパクトである。漠然と「戦争のない平和な時代だった」と思っている人も多いが、データは別の世界を示していると。
出口さんは京都大学から日本生命に入り、生保マンと教育者の二つの顔で生きてきた。現在の肩書は立命館アジア太平洋大学(APU)の学長である。
文春での連載はこの144回目が「近世篇」の最終回で、江戸時代を総括する内容。「最低」と言い切る評価の理由を求めて、読み進めていこう。
「人間として生まれた以上は、普通にごはんが食べられて、好きなことにチャレンジができて、人並みに人生を終えることができるというのが幸せの最低条件であり、途中で不意に死ななければならないことほど人生の理不尽はないと思います」
なるほど、江戸時代は「不意の死」に満ちていたというわけだろう。まずは飢饉による大量死。出口さんによると、寛永、享保、天明、天保の「四大飢饉」で、餓死や病死でそれぞれ数万人から百万人の人口が減った。百万人は、当時の総人口の3%にあたる。
政治システムの問題でもあるようだ。江戸幕府は大名間の婚姻や交流を厳しく制限していたため、飢饉にあたり隣藩とコメを融通し合うようなことが難しかったらしい。鎖国制度ゆえに、海外から食糧を「緊急輸入」する道もなかった。
その結果、江戸時代は総人口があまり増えず、18世紀初めに3000万人に達してから幕末まで、増加ペースは緩やかだった。食糧はコメと雑穀が中心、動物性タンパク質はめったに摂らなかったので、男子の平均身長は155㎝と、日本史上で最も小さかったそうだ。
腹いっぱい食わせるべし
中世にも大飢饉はあった。しかし、支配の仕組みが江戸時代ほどしっかりしていなかったため、民は簡単に他の土地に移ることができた。江戸時代も初期こそ流動的だったが、鎖国システムの完成や、集落における連帯責任もあって、逃げることが難しくなる。
出口さんは、江戸前期にはほとんど伸びなかった「1人当たりの総生産」が、18~19世紀の後期には年率0.2%台ながら伸び始めたことを認める。
「商工業が生まれ始めたということです。町人の力が強くなって、産業が起こってきたのです。このデータを見て、『江戸時代後期は産業革命を準備していたんやで』と見る人もいます。ただこれも世界と比べれば、ヨーロッパはもっと成長しています」
自分はもちろん、子や孫にも江戸時代には生まれ変わってほしくないという出口さん。この時代への評価はずいぶん辛口だ。結語では、その理由を別の言葉で再掲している。
「政治とは何かといえば、市民に腹いっぱい食べさせて、好きな人生を送らせることが要諦だとぼくは思うので、死者を多く出し身長を低くした江戸時代には高い評価を与えることができないのです」