学生の街として知られる東京・御茶ノ水。
その中心部に架かる橋の上に突如、明治時代から太平洋戦争中まで走っていた都電の線路が出現し、話題を呼んでいる。
「こんな所に都電走っていたのか」
線路が現れたのは、JR中央線と神田川を跨ぐ「お茶の水橋」。1891(明治24)年に日本人が初めて設計した鉄橋で、関東大震災後の1931年に再建された歴史を持つ橋だ。J-CASTトレンド編集部が20年1月26日に訪れると、橋の上では補強工事が進められており、多くの車や歩行者が行き交っていた。
中でも、工事が進むエリアの周囲にはカメラを構える人が集まっていた。そこに近づき、カメラの先にあるものを見てみると、石畳の上に敷かれた線路があった。
実はこの線路、かつて橋の上を走っていた都電(東京都電車)「錦町線」の跡だ。錦町線は明治時代から戦前にかけて御茶ノ水と日本橋地区を結んでいたが、太平洋戦争中の1944年に運行を休止。お茶の水橋の線路は道路化により埋められたが、今回の工事にともない、長年の時を経て姿を現したのだ。
ツイッターには、実際に現地を訪れて写真に収めたユーザーから、
「こんな所に都電走っていたのかぁ...すげぇ」
「今にも(都電が)向こうから走ってきそうな歴史を感じる」
などの感想が寄せられている。
撤去後も「都電跡」見られるチャンス
橋の上の線路はいつまで見られるのだろうか。取材に応じた千代田区道路公園課の担当者によれば、現在進められている橋の工事は石畳や線路の下にあるコンクリ―トを刷新するというもの。石畳や線路は「工事を進めるにあたって支障になってしまう」ため、20年1月29日~2月8日頃まで撤去作業を行ない、2月の第3週(9日~15日)には見られなくなる可能性が高いと話した。
撤去された石や線路の多くは処分される予定だが、一部はレールの保存活動を行う団体へと提供され、将来は博物館や公園などでの展示も検討しているという。
ただ、撤去後も再び「橋の上の都電跡」を見られる機会がありそうだ。錦町線は上り・下りの双方向で運行していたため、本来ならば今回出てきた線路の隣にもう一本、線路があるはず。担当者は「今は片側の線路しか出ていないが、左隣の工区からも同じようなものが出ると予想している」と、今後の工事での「発掘」に期待を寄せた。
担当者は最後に、
「(線路を)見る場所が横断歩道の真ん中にあるため、歩行者などにご迷惑にならない程度で、周りの方に配慮した形で見物いただければ」
と、撮影・見物客に対しマナーの順守を呼びかけた。