1972年ミュンヘン五輪で金メダルを獲得した日本男子バレーボールだが、その「ミュンヘンの奇跡」以降は世界戦で輝きを見せられていない。
だからこそ、バレーボール男子日本代表の清水邦広選手(パナソニックパンサーズ)は「何としても結果を残さないといけない」と2020年東京五輪への決意を熱く語る。
「2008年北京五輪の出場権を獲得して、一時的にバレーボールも盛り上がりました。でも、本大会で勝てないと、やはり熱気は続かない。今、バレーボール人気は高いとは言えません。バレーボールを盛り上げるため、競技人口を増やして新たなスターを出すためにも、地元開催の東京五輪では勝つ姿をみせなければ」
東京で勝つために、何が必要なのか。(インタビュアー・石井紘人 @ targma_fbrj)
五輪出場を当たり前にしないと結果残せない
――清水選手は2007年、弱冠20歳で日本代表に選ばれました。そして、2008年北京五輪に出場し、2009年ワールドグランドチャンピオンズカップでは32年ぶりの国際大会の銅メダルとベストスコアラー賞を獲得。その後、V・プレミアリーグ(現V.LEAGUE Division1)ではパナソニックの優勝や個人タイトルを多く手にしていますが、思い出に残っている大会を教えてください。
清水 北京五輪は、16年振りに五輪に出場出来たことはうれしかった半面、一番悔しかった大会です。5戦全敗だったので...。だからこそ、翌年のワールドグランドチャンピオンズカップで銅メダルを取れたことは、本当にうれしかったです。
――なぜ北京五輪では勝てなかったと思いますか。
清水 あの時は、とにかく五輪に出場することが男子バレーボールの目標でした。一方で、他国は五輪でメダル獲得を目標としていた。準備のうえで、出場することで満足してしまった僕たちと根本的な差があることを突き付けられた大会だったのではないかと思います。 五輪に出て感じたのは、出場を当たり前にしないと結果は残せないということです。だから、五輪には毎回出られないといけません。
――北京五輪翌年のワールドグランドチャンピオンズカップは、準備上の課題をクリアしたからメダルを獲得できたのでしょうか。
清水 そうですね。本当に強豪国ばかりで、一勝するのも難しいレベルの高さの中、僕たちは勝つための準備を行っていました。そして、銅メダルを獲得出来た。日本にとって凄く大きな経験を積めたと思います。