「鶴亀」は謡曲の演目として成立したもの
そもそも「長唄」とは、義太夫や常磐津とともに、江戸期に完成した歌舞伎の伴奏に使われる三味線を用いた音楽です。もともとの発祥は上方(関西)ですが、享保年間ごろから江戸でも根付き、歌舞伎と切っても切れない音楽として発達してきました。お芝居である歌舞伎とともに演奏されるのが前提ですが、音楽だけでも色々な表現を持っています。
「鶴亀」という演目は実は長唄のオリジナルではなく、その前に、謡曲の演目として成立したものでした。謡曲とは、室町時代に成立した「能」の筋書きに節をつけて歌うもの、つまりこれも「能の伴奏・演出音楽」の一種であり、音楽だけでも演奏可能です。
そして、謡曲の演目の中でも「鶴亀」はタイトルから推測できるとおり、誠におめでたい内容なのです。舞台は中国が「唐」の時代、治世の後半は楊貴妃にうつつを抜かして国を混乱させた玄宗皇帝の物語。彼は治世の前半は善政を行い、人々の支持も高く、その皇帝を称えるために、鶴や亀も舞を舞った・・・というお正月にぴったりな、題材となっています。しかも謡曲としては長さも長くなく、コンパクトな演目。
この謡曲「鶴亀」をもとに、江戸時代の寛政生まれの長唄宗家、十代目杵屋六左衛門が作曲をしたのが「長唄『鶴亀』」で、そこには能の音楽である謡の要素をたくさん取り入れています。歌舞伎の音楽には、こうやって先行する音楽にリスペクトを捧げながら、その要素を取り入れていったものがたくさんあります。
ということで、明治・大正期の近代日本の音楽の時代に作られた「長唄交響曲」は、山田耕筰が江戸期の「長唄」の音楽を西洋のオーケストラと合体させた作品です。その長唄は、室町時代の「謡曲」を元にした演目であり、その舞台設定は遠く唐の時代の中国・・と、まことに歴史の積み重ねを感じさせる曲なのです。
長唄の奏者と、オーケストラを揃えねば演奏不可能なため、演奏機会も多くなく、録音も少ない作品ですが、日本の歴史と伝統をひしひしと感じることができ、かつ「西洋と日本のハイブリッド」なサウンドの、お正月シーズンに聴きたい、大変おめでたい曲です。
本田聖嗣