タケ×モリの「誰も知らないJ-POP」
何気なく中島みゆきのファンクラブの会報誌「なみふく」を見ていてぎょっとしたのは去年(2019年)の9月の終わりだった。
そこには8年ぶりのツアーの日程が発表されており、そのタイトルはこうだったのだ。
"中島みゆき2020ラスト・ツアー「結果オーライ」"。
思わず何かの冗談かと思ったのは、"ラスト・ツアー"という言葉の割にその告知には特別感がなかったからだ。でも、説明書きのように"最後の全国ツアー"とはっきりと明記されていた。すぐにレコード会社のスタッフに問い合わせると「全国ツアーとしては最後ですが、『夜会』や一か所に滞在してのコンサートは今まで通り行います」との答えだった。
とは云うものの、である。
テレビに出ないアーティストにとってコンサートツアーは存在基盤と言ってもいい。全国津々浦々で自分の音楽を支えてくれた聞き手に生の歌を届けに行く。そうした活動に区切りをつける、というのだから一大決心だったことは間違いないだろう。
コンサートは一期一会
コンサートは一期一会――。
それは彼女がことあるごとに口にしていた台詞である。どんなコンサートもその日の会場の条件や客席の反応、ミュージシャンの呼吸などによって変わってくる。どのコンサートもその日、その場所でしか生まれない特別な空間になっている。何か所かのライブを収録しただけでそのツアーを記録することはできない。1970年代からツアーを続けていた彼女がツアーの様子を収めた初のライブアルバム「歌旅~中島みゆきコンサートツアー2007」を発売するのは2008年まで待たなければいけなかった。ようやくどこの会場でも同じような完成度のライブを行えるようになったから、というのがその時の発売の理由だった。そこにも彼女の完全主義を見る気がした。
今回の決断も、旅から旅へ移動しながら納得できる質のライブを続けることの過酷さを知り尽くした彼女ならではの答えなのだろうと思った。ツアーの初日は1月12日だ。
それに先駆けて1月8日、新作オリジナルアルバム「CONTRALTO」(コントラアルト)が発売になる。前作「相聞」から約2年ぶり43枚目。75年デビューの彼女と同じようなキャリアでそれだけコンスタントに新作を発売し続けている人は他に思い当たらない。新作の合間には、彼女が原作・脚本・作詞・作曲・歌・主演という世界で例のない音楽舞台「夜会」もある。表現者としてのエネルギーには驚嘆させられるばかりだ。
新作アルバム「CONTRALTO」には前作「相聞」との共通点がある。前作の中核になっていた曲「慕情」が主題歌だったテレビ朝日のドラマ「やすらぎの郷」の続編「やすらぎの刻~道」の主題歌が4曲収められている。ベテラン俳優が年齢相応の役で登場することで話題になっている倉本聰脚本の人気ドラマ。収録曲全10曲のうち4曲が同じドラマの主題歌というのも異例と言っていいだろう。それでいてドラマの"サウンドトラック"という印象は全くない。ドラマを知らない人であっても2020年の彼女の心象風景を感じ取るにはこれ以上ない作品となっている。
アルバムの一曲目のタイトルは、やはりドラマ主題歌「終り初物」。盛りを過ぎて最後に出荷される成熟した果物や野菜をそう呼んで珍重するという、古くからある言葉だそうだ。彼女はこちらの反応を見透かしたように"こんな言葉を 今どき分かる人がいるかしら"と歌い始めている。
アルバムの発売と「最後の旅」が同時期になったのは、会場の日程などの都合で結果的にそうなっただけなのかもしれない。でも、「終り初物」の"過ぎゆく季節 嘆くより 祝って送るために"というような一節にも、そんな区切りを感じてしまうのも聞き手の自然な感情なのではないだろうか。
再生と救済を歌い続け
中島みゆきがずっと歌ってきたこと。それは"再生と救済"なのだと思う。75年に歌った「時代」が、今日は別れた恋人たちや倒れた旅人たちが生まれ変わってめぐりあい、歩き出す歌だったように、今、思うような人生を送れない失意の人たちにも"次"があるという救済。2012年には「倒木の敗者復活戦」という曲もあった。
新作「CONTRALTO」が、そういう"終わりと始まり"のアルバムだというのは、「終り初物」の次の曲が「おはよう」であることが物語っていないだろうか。あたかもここからアルバムが始まるかのようだ。
アルバムタイトルの「CONTRALTO」は音楽用語で"アルト"のことだ。ソプラノ・メゾソプラノ・アルトという女性の声域の一番低い部分。彼女はタイトルについて「自分の声域」と説明している。アルバムの中の「自画像」と「歌うことが許されなければ」は、歌い手の彼女自身なのかもしれない。2020年、世界は歌うことが許される国と許されない国に分断されている。「歌いたい命」と「歌わせない力」。風の便りが伝える「命懸けの歌」を僕らはどう聞けば良いのだろう。
タイトルの「CONTRALTO」が、単に音楽用語として使われているのではないように思ったのが、8曲目の「タグ・ボート(Tug・Boat)」だった。「負けを知らぬ城のような 大いなる船」を港外に押し出すために足元で身を震わせて働くタグボート。城のような船の甲板からは見えないちっぽけなボート。でも、彼女の歌い方はまるで仕事を終えて寄港するタグボートになり切ったように溌溂として明るい。高いところから見えない人たちに寄り添うような低い視線。それは、まさに「アルト」ではないだろうか。
ドラマ主題歌が4曲ありつつそれに頼らない見事な起承転結のアルバムだと思った。
人は誰でも終わりの時を迎える。
アルバムの全体のトーンの重厚感もタイトルの意味に繋がっているようだ。時の流れの中で熟成された歌声、そして、その中で感じざるを得なかった詠嘆や達観。ドラマ主題歌でもある9曲目「離郷の歌」と10曲目「進化樹」は、まさにそんな歌だろう。人はどこから来てどこに向かうのか。「離郷の歌」。離れざるを得なかった人たち、汚れざるをえず汚れた人たち。誰もがいくつもの世代を超えてここまで来た。そして、今、僕らは何に向き合えばいいのか。「進化樹」は、「誰か教えて 僕たちは 本当に進化したのだろうか」と歌う。
終わるものと終わらないもの、断ち切られてしまうものと受け継がれていくもの--。
アルバム「CONTRALTO」と「ラスト・ツアー、結果オーライ」が物語ること。そこから何が始まって行くのだろうか。
(タケ)