VOCE 1月号の「美容自身 stage 2」で、美容ライターの齋藤薫さんが薄っぺらな美人に見られない「最短の方法」を伝授している。
最良とか最高ではなく「最短」というのが正直でいい。読者層の20代女性は、まあ男性もだが、恋に仕事に忙しい。どうせ教えてもらうなら早道に限るのだ。
「人間の評価は何だかんだ言って"厚み"で測られる。なのに意地悪な見方をすれば、美しさは『薄っぺらさ』と背中合わせ。そこでキレイを追求しつつも薄っぺらく見えない最適な方法を考えた」
この冒頭で、読者の多くは「なによなによ」と身を乗り出す。齋藤さんの結論は「地球を意識すること」だ。それだけで人間は厚みを増す、とまで言う。たとえば、オーガニック(有機栽培、無農薬=冨永注)好きが、何となく知的な気配を放つように。
「今は地球レベルで美しさを考えることが女として厚みを持つ最大のカギなのだ。実際、ハリウッドセレブだって環境問題に自分なりの方法で取り組んでいないと、もうNG。本気でそう思わないとマズイ時代になっている」
さらに、国連などで温暖化を告発したスウェーデン少女、グレタさんに触れ、彼女が現れなければ地球環境に無関心なままだったかもしれないと続く。環境意識で世界に後れた日本人が突きつけられている大テーマは二つだという。「地球を汚していないか?」「人のために何かできる人間なのか?」である。後者は災害ボランティアのイメージか。
見えないものが見えてくる
「12歳の少女が売春宿に売られる国」を授業で知り、少女たちを救うNPO法人を立ち上げた女子大生ら「愛らしくて華やかな美人」を紹介し、筆者はこうつなぐ。
「もともとは、そうした社会貢献とは無縁の生活をしていたわけで...それができる才能を持って生まれた人だから立ち上がれたと言うほかないのだ」...そのうえでようやく、読者目線に下りて説くのである。
「一人一人必ず何かこの世における役割がある...何となくでも頭の片隅にそれを置いて生きると、日々の当たり前のことが当たり前でなくなるはず...グローバルな目で世界を見られるようになり、見えないものが見えてくる...自分の使命を知っている人は、やっぱり自ずと、何か一つ上の美しさを放つようになるはずなのだ」
自己啓発を美に結びつける、齋藤さんらしい展開である。こうなるともう誰にも止められない。「いつも地球の美しさを意識して生きること、それは体の中がすっかり浄化されることに等しいのだ」と、話はやや神がかる。
「はっきり言えば、自分ばっかり美しい女ほど、公共の場を平気で汚して帰る傾向があるとも。女性が多い企業ほど女子トイレが汚いといった見方もあるくらい」
語尾で保険はかけているものの、こうした一般化には異論もあろう。それでも筆者の結論は今回もブレない。鏡に映る美しさだけでなく、地球の美しさに心を砕き、自分の役割を探すこと。「それだけで人は一つ上の次元に上がれるのだ」と。
教祖と信者の関係性
女性誌に多くの連載を持つ齋藤さんの鉄板テーマといえるのは、見た目を超えた「ひとつ上の美しさ」である。美しい、あるいは美しくなろうとするのは当然で、みなさん(読者)は上のステージを目ざしましょう、という教えだ。今回は、人としての厚みを備え、内側からも美しくなるには地球のことを(たまには)考えようという話だった。
男性、とりわけおじさん視点ではツッコミどころも多い。たとえば「すると次第に魂レベルが高くなっていく」といった表現がいくつかある。だが、筆者と熱心な読者の間ではたぶん通い合うものがある。齋藤さんクラスになれば、先生と生徒、教祖と信者のような関係性が成立しているからだ。もちろん肯定的な意味で、である。
もっぱら外的な美を追い求める読者層の年ごろで、内面の美しさや地球環境への意識を求められるのは荷が重いかもしれない。齋藤さんも、自分の役割が見つかるのはずっと先かもと断っている。要は、そういうことを考えながら生きていこうということだ。
大手美容誌でカリスマ筆者に説かれれば、考えるだけで美しくなった気にもなろう。それで人生が好転するのなら、美に縁のないおじさんも文句はない。自然災害の多発で地球環境が改めて注目された年を、前向きに締めるのに相応しい一文である。
冨永 格