今年は西暦では2019年ですが、日本においては元号が変わったため、平成31年であり令和元年として記録される年になりました。私は昭和から平成へ変わった瞬間も体験していますが、今回の新天皇の即位は、生前譲位という形をとったために、祝賀ムードにあふれていたのが印象的でした。また、伝統にのっとった皇室の数々の行事も、改めて注目を集めました。海外からもたくさんの元首や王族の方たちが、それらの行事に参加していました。
今週取り上げる曲は、英国のウォルトンが作曲した「王冠」という曲です。
正式名称は「戴冠式行進曲 王冠」で、英国の新しい君主が即位する、その式典での演奏を想定して書かれた曲になります。
吃音を克服、映画化もされた王
ウォルトンは1902年の生まれ、オックスフォード大学で学びますが、作曲は驚くべきことにほぼ独学でした。現代音楽のフェスティバルで作品が評価され、世に出たウォルトンは、20世紀の作曲家らしく、数多くの映画音楽なども手掛け、幅広いジャンルの音楽を残します。最終的には、ブリテンやヴォーン=ウィリアムズとともに20世紀英国を代表する作曲家として名を残したのです。
「戴冠式行進曲 王冠」は、ウォルトンが35歳のときの作品で、1937年5月12日の戴冠式のときに初演される、ということがあらかじめ決まっていました。しかし、なんと、その「王」が変わってしまったのです。もともとはエドワード8世の戴冠式だったのですが、有名な「王冠をかけた恋」のために彼は王をすぐに退位してしまい、「帝王教育を受けてこなかった」とあわてていた弟のジョージ6世が急遽英国王になることになったのです。
「即位するはずではなかった」ジョージ6世は、王となり、相対的に地位の低下してゆく大英帝国とともに、第二次世界大戦とその後の困難な時代を生き抜くことになります。どちらかというと内気で、人前でのスピーチも吃音のため苦手だった彼ですが、それも克服し、第二次大戦時に国民に呼びかけた感動的なスピーチは、「英国王のスピーチ」として映画にもなりました。
初めは散々の評判、次第に評価高まる
ウォルトンが作曲した「戴冠行進曲 王冠」は、初演当初の評判はあまり良くありませんでした。彼の本来のスタイルではない、と批判されたのです。確かに、曲の構成が、第一次世界大戦前の英国を代表する作曲家、エドワード・エルガーの代表作にして、「英国の第2の国歌」と言われる「行進曲 威風堂々 第1番」にそっくりで、それをそっくり真似したのだ、と攻撃されたのです。皮肉を込めてウォルトンの作品も「威風堂々 第6番」と呼ばれたりもしました。エルガーは「威風堂々」を第5番まで完成させて亡くなっていたからです。
しかし、ウォルトンの、風格があり堂々として、それでいてどこかのびのびとしたこの曲は、次第に評価されるようになり、ジョージ6世の娘、現在の英国女王エリザベス2世が即位するときにも、その戴冠式のために新たに作曲した「行進曲 宝玉と勺杖」とともに、再び演奏されることとなったのです。その後も、たとえば、ウィリアム王子とキャサリン王妃の婚礼の時にも、演奏されました。ウォルトンの「行進曲 王冠」はこれからも英国王室の行事に密接に結びついて、人々に愛されて行くことになるでしょう。
ところで、ジョージ6世は、インドが独立したため、インドの王位を失い、「現在の連合王国」の最初の王となった人です。2019年は、最後の最後に与党保守党が総選挙で大勝し、いよいよ2020年には3年半ももめたEU(欧州連合)離脱、通称「ブレグジット」が現実味を帯びてきましたが、これはひょっとして、北アイルランドやスコットランドが独立するきっかけ・・・「連合王国解体」の序章となった・・などと後世の歴史家に言われてしまう事態になる可能性がないとも言い切れなくなってきました。
来年以降のことはわかりませんが、音楽も、歴史も、「事実は小説(音楽だけに小節?)より奇なり」という未来が待っているのかもしれません。
本田聖嗣