我が国への示唆
ベナルチ&セイラーの挙げているheuristics and biasesは、いずれも人間性に根差したものであり、彼らの議論は大部分が我が国でも通用するものと考えられる。読者の皆様自身、自分にもそのようなheuristics and biasesがあると感じたかもしれないし、評者の場合、実際そうであった。我が国でもイデコの投資先のデフォルトの設定のあり方等が議論されているが、それはベナルチ&セイラーの研究等を踏まえた一連の流れの中で行われているのである。
他方、将来の賃金上昇分を加味し、名目の手取り分の減を回避するSave More Tomorrowのアイデアについては、我が国での名目賃金上昇率の低迷を考えると、うまく機能しない恐れがあることには注意を要する。年功序列賃金体系のもとで働く大企業の若い勤労者には有効であろうが、この層はかつてほどのボリュームゾーンではない。政策として貯蓄を促す必要性の高い層は、雇用の不安定な層であるが、このアイデアはこの層への適用に困難を抱える。
ベナルチ&セイラーは個人の年金に関する指摘であるが、同様の課題が公的年金、税の賦課においてもあるとみられることは興味深い。我が国の2004年年金法は保険料率の小刻みの自動的引上げ、マクロ経済スライドを骨子とする。この仕組みは物価・賃金上昇の下で、手取りを可能な限り減少させずに受益と負担を調節する工夫である。ただ、デフレ下で(保険料率引き上げは完遂したものの)マクロ経済スライドは十全な機能を発揮できていない。税についても、今回の消費税率引き上げの経緯にも鑑みると、小刻みで、リジットな転嫁を求めない税率引き上げが、少なくともベナルチ&セイラーからの類推による限り(筆者注)、妥当ということになろうか。
人間性の本質に迫った分析をおこなうことを通じ、行動経済学はマクロの経済運営にも有益な示唆を与えることができそうである。
経済官庁 Repugnant Conclusion
(筆者注)行動経済学で最も有名と思われる理論にプロスペクトセオリーがあるが、この理論からすると、損失は複数にわけるよりも一度にまとめる方が負担感は軽くなるはずである。理論のいいとこ取りにならないようにするにはどうすればよいのか、一考を要する。