しっくりこない「マーラー風バッハ」
一方で、「G線上のアリア」という演奏技法上の個性を付け加えた変更は、人々に受容され、原曲より有名になったのに、マーラーによる「バッハの管弦楽組曲」は、現代でも演奏される機会も少ない「レアレパートリー」となってしまっています。たしかに、マーラー版が演奏できるなら、同じ編成で容易にバッハのオリジナル版は演奏できるわけですし、あえて、「第2番」と「第3番」をごちゃまぜにしたマーラー版を演奏する理由は薄いからです。
マーラー版の第3楽章のアリア・・いわゆる「G線上のアリア」で知られたオリジナル管弦楽組曲の第3番の「エアー」は、マーラーのオーケストレーションのせいで、「あれ?マーラーの交響曲の一部かな?アダージエットの続編?」と聴こえてしまったりもします。それはそれで面白いのですが、なんだか「マーラー風バッハ」を聴いているようで、やっぱりしっくりこないのです。マーラー作品なら彼自身の交響曲などを聴いたほうが明快ですし、バッハ作品は完成度が高いので、他人の手が入ると、やっぱり少し違和感があるのです。
しかし、長い歴史の中には、このように、「編曲された無名なバージョン」も存在します。明快なようでいて複雑な、そんな怪しさも、クラシック音楽の面白さの一つかもしれません。
実は、オリジナルであるバッハの『管弦楽組曲』も、バッハ自身は鍵盤楽器で演奏する「フランス組曲」や「イギリス組曲」のように「舞曲を組み合わせた組曲」と考えてはいなかったともいわれていますし、「管弦楽」とつけたのも後世の他人で、実は「室内合奏曲」として企画していた、とも推測されています。・・そう、つまり、バッハのオリジナルってなんだ?ということも、古い時代だけに本当はあやふやで、マーラーの「自由な編曲」も責められるべきではないのですが、オリジナルの問題は、また複雑なので、それはまた別の機会にしましょう。
本田聖嗣