今週は、クラシック音楽の超・有名曲が登場です。
「音楽の父」こと、ヨハン・セバスティアン・バッハの「G線上のアリア」です。その旋律は広くCMやBGMにも使われるだけでなく、タイトルが日本のドラマでパスティーシュ(もじり)されるぐらいですから、とても広く知られた「クラシックの代表曲」と言っても良いでしょう。
ところが、この「バッハ作曲『G線上のアリア』」という表記は、厳密に言うと間違っているのです。
一番下の音が出るG線のみで演奏できる
・・・バッハが作曲したこの曲は、正確には「管弦楽組曲 第3番 ニ長調 BWV1068 第2曲 アリア(エール)」という曲です。
バッハが「管弦楽組曲 第3番」を作曲した年代はよくわかっていませんが、その曲の見事さから、ライプツィヒで活躍していた脂の乗り切った40代に書かれたのではないかと言われています。
では「G線上のアリア」という名前は一体、なんなのでしょうか?
アリア、イタリア語でAriaと表記し、フランス語ではAirと書いてエールと発音する場合もありますが、これは曲の形式名です。比較的ゆったりとしたテンポで叙情的なメロディーをもった歌の形式で、オペラの中にも、宗教的なオラトリオやカンタータの中にも「アリア」はたくさん存在します。この曲はそういった歌の形式に寄せた器楽曲、というわけです。
そして「G線」とは、ヴァイオリン弦の1つを指しています。ヴァイオリンには4つの弦が張られていることは多くの人がご存知だと思いますが、開放弦、つまりどこも指で押さえないときに出る音の名前をつけて、高い音の出る(細い)弦から順に、E線、A線、D線、G線と呼ばれているのです。ちなみにE、A、D、Gはドイツ語なので「エーセン」「アーセン」「デーセン」「ゲーセン」と発音します。「ゲーセン上のアリア」って、なんだかゲームセンターの歌みたいですが、本当です。
ヴァイオリンにとっては一番太く、一番下の音が出るG線のみ、つまり他のEやAやD線を一切使わないで演奏できることから、この曲は「G線上のアリア」と呼ばれているのです。4本弦が張ってあるのに、1本しか使わないで演奏できるって、ちょっと驚きですよね。
原曲はニ長調だったがハ長調に
しかしこのちょっとした仕掛けは、バッハが考案したものではまったくないのです。19世紀のドイツ出身のヴァイオリスト、アウグスト・ヴィルヘルミが考えたものです。バッハの原曲はニ長調だったのですが、これをハ長調に移し替える(移調する)と、G線だけで曲全部が弾けることに気づき、おそらく演奏家として「1本の弦だけをつかう」という演奏スタイルがウケる、ということにも気を配ってこのような編曲をしたのだと思われます。
たしかにG線だけで弾ける=すなわち音があまりあちこち飛ばず、比較的狭い音域の音だけで構成されているところからこのような一種「曲芸」のネタにされたわけです。そのため、原曲を知らない人たちによって、「バッハはただ1本の弦で弾くためにこの曲を作った」という誤った説が流布されてしまったのです。同時に、「バッハの『G線上のアリア』」というちょっと違う題名で呼ばれるようになっていきました。
しかし、そんな仕掛けがなかったとしても、そもそも曲がつまらなかったら、ここまでヒットすることにはならなかったと思います。バッハの書いたアリアの旋律は、ゆったりと下降してゆく伴奏型の上に乗って、少し悲しみを湛えたまま、ゆったりと展開してゆきます。誠に典雅な「アリア」となっていて、バッハの才能の偉大さをこの曲だけで味わうことができる・・・それぐらいこの曲が「音楽の力」を持っていたからこそ、と言って良いでしょう。
バッハ自身がそうであったように、この曲も作曲されたあと、歴史の中に一旦埋もれてしまいます。しかし、数世紀もあとになって、「G線だけで弾ける」というギミックを伴って復活したとき、本来の音楽の魅力を発揮して、「原曲より遥かに有名」となる、「バッハ作曲 『G線上のアリア』」が誕生することとなったのです。ちょうどロマン派の作曲家がバッハの作品を「復活上演」して、人々がその魅力に気づき、ちょい古の音楽、すなわち「クラシック音楽」というジャンルが誕生した経緯を思い起こさせます。
余談ですが、私が昔の恩師に聞いたことなのですが、日本の古い楽譜では、原譜のフランス語のアリア、「エール(Air)」という表記を英語と勘違いし、「G線上の空気」という日本語訳がつけられた楽譜も存在していたそうです。極東の国で「空気」という誤訳までつけられるぐらいのメガ・ヒット曲となった「G線上のアリア」を、J.S.バッハはどのような気持ちで天から眺めているかを想像すると、ちょっと楽しくなりますね。
本田聖嗣