ジョージアへの思い貫いたイッポリトフ=イワーノフ 「コーカサスの風景 第2番」

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   日本語は外来語について、「おおむね現地語主義」です。欧州は、アルファベットを共通の文字として使っている場合、自国語読みにしてしまうため、もとがドイツ語の「モーツァルト」はフランス語では「モザール」、「バッハ」は「バック」になったりしますが、日本はそれぞれフランス人ならフランス語、ドイツ人ならドイツ語、というふうに呼び分けています。それでも、歴史的経緯から、そうでない場合もあったりしますから、複雑ですね。

   コーカサス地方の国(コーカサスも英語ですから本来は「カフカス地方」と呼ばなければいけないような気がしますが・・・)グルジアが、ごく最近、本国からの依頼によって「ジョージア」に日本での呼称を変えました。米国のジョージア州とスペルも読み方も全く同じものになってしまうので、あえて「ジョージア国」と表記したりしていますが、今日取り上げる曲は、「ジョージアに昔あったイベリア」を題材にした曲です。ロシアの作曲家、ミハイル・イッポリトフ=イワーノフのオーケストラ作品です。4曲目の「サルダールの行進」で有名な「コーカサスの風景 第1集」・・・この曲も古くは日本で「酋長の行進」と訳されていました・・・の続編として書かれた「コーカサスの風景 第2集」がその組曲で、「イベリア」と副題がついています。

  • イッポリトフ=イワーノフ若き頃の肖像
    イッポリトフ=イワーノフ若き頃の肖像
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「イベリア」はかつてジョージア領域に存在した王国

   一般的に「イベリア」というと、欧州の西、大西洋に突き出た「イベリア半島」、国で言えばスペインとポルトガルを指すのが常識ですが、イッポリトフ=イワーノフの「イベリア」は、そこから全くかけ離れたカフカス地域、現在のジョージアの領域に長く存在した歴史上の王国のことなのです。

   現在、ジョージアは「ワインのふるさと」として、ワインの発祥の地であることをアピールしていますが、コーカサス地方は、東西文明が交錯する地として、古くから文化文明が発展してきたことは想像に難くありません。もちろん、交通の重要地でぶどうもある、ということになると、大国に狙われ、支配されやすくなりますから、ペルシャ、ローマ、モンゴル、トルコ、ロシアなど、様々な国家に影響されて来た苦難の歴史もあります。直近では、北の大国ソ連に飲み込まれ、連邦の一部となっていました。1990年に独立したあとは、どちらかといえば「反ロシア」であり、ロシア語表記の「グルジア」を、英語表記の「ジョージア」に改めてくれ、という依頼も、そのあたりから来ていると思われます。

   イッポリトフ=イワーノフは、ロシア帝国の当時首都だったサンクトペテルブルク近郊に1859年に生まれています。ですから「ロシアの人」なのですが、19世紀、ロシア帝国は南下政策をおしすすめ、ほぼ全コーカサス地域を勢力下に置きました。北の国ロシアは、南のコーカサス諸国を政治的に支配しましたが、反対に、南のコーカサス諸国の文化的なもの、文学や、民族音楽や、衣装や、それこそワイン・・などがさまざまな形でロシアにもたらされ、ロシアで「コーカサスブーム」が起きます。ロシアの人々も、8000年も前からワインを作っているジョージアなどの歴史に魅せられ、自分たちのルーツをそこに感じたのかもしれません。

「反ロシア」リスクを冒してまで

   首都サンクト=ペテルブルクの音楽院で、ロシア音楽を牽引した「ロシア5人組」の一人、管弦楽法の大家であるリムスキー=コルサコフに師事したイッポリトフ=イワーノフは、卒業後、当時まだ「チフリス」と呼ばれていたジョージアの首都、トビリシの音楽院の院長と、オーケストラの指揮者として招へいされます。結局、その地に彼は7年間ものあいだ暮らすことになり、ジョージア地域の音楽、すなわち「スラヴ的ではないもの」に魅せられ、自作に取り入れていくことになりました。

   指揮者としては、トビリシでチャイコフスキー作品を演奏するなど「ロシアから来た音楽家」でしたが、赴任を終え、1893年にモスクワの音楽院の教授としてロシアに戻ったあとは、すっかりコーカサスの魅力にハマり、民族的なメロディーを自作のモチーフにたびたび取り入れたのでした。モスクワで「コーカサスびいき」というのは、ともすれば「反ロシア」とも取られかねないリスクをはらんでいましたが、そのリスクを冒してでもジョージアへの思いを曲にした彼は、よほどジョージアに魅力を感じていたと言えるでしょう。

   オーケストラの組曲、「コーカサスの風景」は、第1組曲が1894年に、そして、第2組曲「イベリア」が1896年に完成されています。第1組曲の4曲目、「サルダールの行進」ばかりが有名で取り上げられますが、第2組曲はコーカサスへの旅、という距離的旅行だけでなく、紀元前への旅、という時間旅行も内包した音楽で、我々を遠い世界にいざなってくれます。

   組曲は曲からなり、「第1曲 序奏~ケテヴァナ王女の嘆き」(19世紀初頭、ロシアに併合された時代の王女)、「第2曲 子守歌」、「第3曲 レスギンカ(北コーカサス地方の民族舞踊)」、「第4曲 ジョージア行進曲」という題名がそれぞれ付けられています。師匠リムスキー=コルサコフ譲りの華麗な管弦楽法でもって、苦難の歴史を歩みつつ、誇り高いジョージアの歴史と人々、そして雄大な風景まで感じることのできる、ダイナミックな傑作です。

本田聖嗣

本田聖嗣プロフィール
私立麻布中学・高校卒業後、東京藝術大学器楽科ピアノ専攻を卒業。在学中にパリ国立高等音楽院ピアノ科に合格、ピアノ科・室内楽科の両方でピルミエ・ プリを受賞して卒業し、フランス高等音楽家資格を取得。仏・伊などの数々の国際ピアノコンクールにおいて幾多の賞を受賞し、フランス及び東京を中心にソロ・室内楽の両面で活動を開始する。オクタヴィアレコードより発売した2枚目CDは「レコード芸術」誌にて準特選盤を獲得。演奏活動以外でも、ドラマ・映画などの音楽の作曲・演奏を担当したり、NHK-FM「リサイタル・ノヴァ」や、インターネットクラシックラジオ「OTTAVA」のプレゼンターを務めるほか、テレビにも多数出演している。日本演奏連盟会員。

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