タケ×モリの「誰も知らないJ-POP」
このところ様々な場所で「山崎まさよし」という名前を目にすると感じている方も多いのではないだろうか。特に、普段は音楽とは縁のないテレビのバラエティー番組や一般誌などで取り上げられている。
その理由はひとえに彼が主演している映画「影踏み」にある。原作・横山秀夫。「半落ち」や「クライマーズ・ハイ」「64-ロクヨンー」など、映画化された原作が大ヒットしている人気作家。「影踏み」は、彼の作品の中で未だ映画化されない「最後の一作」と言われていたのだそうだ。
映画化不可能、と言われていた小説の映画化、しかも主演と音楽がデビュー25周年を迎える実力派シンガーソングライター。話題にならないはずがない。
職人肌の男の気持ちは想像できなくはない
山崎まさよしは、71年生まれ。95年に「月明かりに照らされて」でメジャーデビュー。96年に主演した映画「月とキャベツ」の主題歌「One more time、One more chance」が大ヒットしてブレイクした。2005年には「8月のクリスマス」にも主演。映画には縁のあるシンガーソングライターと言って良さそうだ。
もっと言えば、彼がプロになるきっかけになったのはキティ・フィルムの俳優オーディション。でも、それが映画のためと知らずに応募したところから始まっている。その時は合格せずに特別賞。キティは音楽制作部門も併せ持っており、そちらのスタッフの目に留まっていて契約される運びとなった。
今回の「影踏み」は14年ぶりの主演。監督の篠原哲雄は、「月とキャベツ」の監督。つまり、役者としても気心の知れた仲、ということになる。共演が尾野真千子、北村匠海、鶴見辰吾、下条アトム、大竹しのぶというそうそうたる顔ぶれ。少なくともミュージシャンの余技、という次元では毛頭ない重厚な演技で存在感を発揮している。
何しろ彼が演じる主人公は泥棒である。深夜人のいる家に忍び込んで証拠を残さないまま現金を持ち去る。"のび師"という言葉があるのだそうだ。貧しい家や立場の弱い人の家には入らない"義賊"的泥棒。そういう意味では"悪役映画"、洋画的に言えば"フィルム・ノワール"ということになる。
横山秀夫作品を愛読していたという山崎まさよしは、映画のパンフレットのインタビューの中で、泥棒を演じることについて「自分に合うんじゃないか、とほんの少し思った」とこう話している。
「シンプルに『官』ではなく『民』の主人公だから。たとえば刑事とか検察官の役を僕が演じるというのは、やっぱりリアリティーがないと思うんです。でも、『影踏み』は、ずっと組織を描いてきた横山さんの作品で唯一、アウトローが活躍する小説ですし。同じ『民』でも、医者や弁護士の役は絶対に無理だけど、泥棒ならいけるんじゃないかと(笑)。もちろん、僕は真夜中にこっそり人の家に忍び込んだ経験はありません。でも、真壁修一という主人公を『自分の腕一本で生きて来た職人肌の男』と捉えるならば、その気持ちはミュージシャンである僕にも想像できなくはない」
主人公の心情に沿わないと映画がダメになる
映画は、捕まることになった一つの事件を軸に展開してゆく。県議会の実力者の家に深夜忍び込んだ彼は、そこで家に放火しようとしている妻を目にして、それを止めに入る。そして、そこにいるはずのない幼なじみの刑事に逮捕されてしまう。ちなみに演じるのは事務所の後輩、竹原ピストルだ。刑事は、なぜそこにいたのか、妻はなぜ家に火をつけようとしていたのか、そして、主人公はなぜ司法試験エリートの道を捨てて泥棒になったのか。地方政治の権力の暗部とそれに翻弄される男女の愛憎と悲哀。彼が歌う主題歌「影踏み」が流れるのは、思いもかけない結末の後のエンディングで、だった。
山崎まさよしは、筆者が担当しているFM NACK5の「J-POP TALKIN'」(11月23日・30日放送)のインタビューで、主題歌の「影踏み」についてこう言った。
「編集前のラッシュを見ながら書きました。自分で演じているわけですから主観が入ってしまって微妙な気持ちでしたね。客観的に音楽を付けられるようになるまで何度も見直しました。映画の主題歌で一番喜ばれるのは、たいていが"感動的なバラード"なんです。でも、映画に出て主人公の心情も味わっているんでそれに沿ったものじゃないと映画がダメになる。余韻を残したかった」
映画主題歌の「影踏み」は、映画公開直前に発売になった彼の3年ぶりの新作アルバム「Quarter Note」に収録されている。でも、余韻を強調した映画バージョンとは長さも違う。11曲入りのアルバムの後半の柱のような重要な役割を果たしている。
とは言え、アルバム「Quarter Note」は「影踏み」のアルバムではない。重要な役割は果たしているものの、そこに頼っていない。来年のメジャーデビュー25周年を前にした過去・現在・未来。アルバムの中の「ロートル・ボクサー」は2002年に書かれてそのままになっていた曲だと言った。アルバム一枚を通して、サンバやレゲエ、ソウルやブルース、そしてハードロック、彼のキャリアの中にある様々なタイプの音楽が「25年」という流れを形作っている。
25年間の思いが...
アルバムを最初に聞いた時に、この音は何だろう、と何度となく思った。音色や音質。ビンテージのシンセサイザーのようでありそうでもない。その答えは「スタジオ」だった。
念願だった自分のスタジオが完成した。そこで時間を気にせずにレコーディングする。音に手を加えられる。
しかも、ドラムやベース、ギター、キーボード、パーカッション、全ての楽器を自分で演奏している。これまでも「ステレオ」や「アトリエ」という多重録音シリーズがある。そんなシリーズで発売になったシングルは「未完成」。インタビューでの言葉を使えば「完成形」となったこのアルバムはマルチプレイヤーとしての存在感を遺憾なく発揮している。
アルバムの最後の曲「FIND SONG」は、「平成が終わる、ということを意識して書いた曲」だと言った。
彼がデビューした90年代後半は、音楽業界が遅れてきたバブルに浮き立っていた頃だ。ブルースなどのルーツミュージックを下地にした生ギターのスタイル、泥臭さと哀愁が溶け合ったラブソングは決して時代の主流とは言えなかった。その中で着実に歩みを進めてきた25年に思う事。アルバムタイトルの「Quarter Note」には、そんな等身大の意味もあるのだろうと思った。
平成の山崎まさよしは時流に流されない「孤高の存在」でもあった。令和元年の映画「影踏み」は、彼に違う角度からの新しい光を当てることになりそうだ。
(タケ)