ライナーノーツに率直な心境
「吉田拓郎」ほど世間のイメージと実像が乖離している人も少ないかもしれない。語られることの少なかった彼の実像。それは一言でいえば「音楽家」としての側面と言っていい。「ミュージシャン的」な語られ方。一つの曲の中で使われているコードやリズム。言葉を載せる時の譜割や演奏するミュージシャンの音のタイミングや楽器の音色に力加減。コーラスのハーモニーの響き方やバランス。音楽の成り立ちや構成へのこだわり。それがいかに個性的で独自のものなのか。そうした純粋音楽論とも言える視点での語られ方がどのくらいあっただろう。彼は、他の歌い手に依頼された曲には詞や曲だけでなく緻密なデモテープも作る編曲家だった。
70年代のフォークやニューミュージックがそういう音楽として捉えられていなかったこともあるだろうし、筆者も含めて書き手にそこまでの能力がなかったということもある。「吉田拓郎論」の多くは、作詞家が書いた「言葉」を題材にしていた。彼が、自分の作品をほとんど語ってこなかったのはそんな状況を踏まえてだったのだと思う。
新作映像は、ステージ上はもちろん、リハーサルのスタジオなどでの彼の「ミュージシャン」あるいは「音楽ファン」としての表情を見事に記録している。彼の言葉を使えば「音楽魂」だ。それぞれの曲について書いている全8頁1万字に及ぶ「セルフライナーノーツ」にも率直な心境が綴られている。
"もともとバラードだがここでは後半
たたみ込むようなロックビートにアレンジ
オリジナルの美味しいところは残しつつ
あくまでスピリッツはロック
素晴らしい演奏だった
ボーカルチームも力強い"
「早送りのビデオ」
"音楽は自由でなければツマラナイ!
変化がなければ楽しくないのだ
全国ツアーから身を引くきっかけは
「同じ曲を毎度のごとく歌い続けて行く事」そこに吉田拓郎は「飽きた」のも遠因である
飽きっぽい、と人は言うかも知れないが
僕自身の音楽への、これがこだわりなのだ
「変化」し続けていたい
「いつの時代」とも話し合える音楽でありたい
そこが70年代フォークを語る連中とは
根本から「ウマが合わない」(笑)"
「流星」