ネットから逃れられないからこそ
評者も勿論、目当ての記事を見つけるために、ネットを検索する。そうして専門知を見つけ出した後、単に追従するのではなく、それらを糾合して自身の言葉を紡ぎ出すことが我々に求められる創造である。その作業を行う際には、何よりも「強そうな"思想"」に引きずられない「個性、人格」を貫くことが、論述に迫力と説得力を与える。
多様な視点とともに創造に至る思考様式を先達に学び、「個性、人格」を涵養(かんよう)する有効な手段が、様々な事柄をテーマに論じる総合誌であり、そこで展開される論壇人たちの、その時代のテーマを扱った骨太の評論であったと思う。ネット上にも骨太の評論はある。ただそれはわざわざ能動的に見つけに行くものとなっている。テーマにせよ、記述の背景にある思想にせよ、「見たいものを見る」バイアスからは逃れにくい。我々はもはやネットから逃れられない。であればなおのこそ、多様な視点からの様々な評論が総覧的に提示される機会が細ることが危惧される。「論壇」論を展開することで、言論を巡る時代状況に対する我々の自覚が試されている時代にあることを、本書は教えてくれる。
厚生労働省 ミョウガ