使い込むほどに
食文化に造詣の深いエッセイストは、使い込んだ調理具を自分なりに鍛え、また鍛えられてきたと吐露している。同志か、運命を共にする戦友かもしれない。
大御所にこれだけ褒められたら、調理具の作り手は本望だ。逆に、他の製作者は面白くなかろう。通販等で競争が激しい鍋ともなれば、なおさらだ。
愛用ブランドを明かした平松さんも、そこらの事情は百も承知で、「ほかではよそよそしい味になる」と書いたすぐ後に「もちろんそれは、あくまでも自分の好みの味からズレるという意味であって、どの鍋にも一長一短がある」と断っている。筆者もメーカーも有名どころなので、俗っぽい競争からは突き抜けている気もするが。
わが家では、平松さんとは違うブランド鍋をセットで40年近く使っている。毎日の炊飯から来客の主菜まで、たいていの調理は大丈夫だ。使い込むほどに期待に応えてくれるというなら、使う機会が多い木べらやトングなどの小物かもしれない。
平松さんは、使い込んだ調理具が発するオーラを「生き物みたいな存在感」と表現した。魂が宿ると言えば大仰だが、「泣く泣く手放した」という彼女の心境、料理好きの一人として痛いほどわかるのだ。
冨永 格