REBECCA、ふたつのライブ   
80年代の新鮮さ

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   タケ×モリの「誰も知らないJ-POP」

   今、こんな風に狂おしいばかりにキュートなパフォーマンスをする女性アーティストがいるだろうか。

   2019年10月23日に発売されるREBECCAの89年の東京ドーム公演のライブ映像「BLOND SAURUS TOUR'89 in BIG EGG-Complete Edition」を見ながらそう思った。

  • Blu-ray「BLOND SAURUS TOUR’89  in BIG EGG-Complete Edition」(Sony Music Direct、アマゾンサイトより)
    Blu-ray「BLOND SAURUS TOUR’89 in BIG EGG-Complete Edition」(Sony Music Direct、アマゾンサイトより)
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ガールズバンドの先鞭をつける

   すでにこの欄では何度か書いているように、日本のポップミュージックは80年代を境に大きく変わった。一つはロックの大衆化、低年齢化である。70年代には長髪にジーンズの若者たちによるアンダーグラウンドな音楽と思われていたロックが普通の若者たちに親しまれるようになった。その頂点とも言える現象が80年代後半のバンドブームだった。

   猫も杓子もバンド、レコード会社はバンドなら何でもいいとでも思っているかのように片っ端からデビューさせていった。

   確かに、厳密に言えば、60年代のグループサウンズも最初のバンドブームではあった。

   ただ、バンドの認知度が違った。

   たとえば、最も人気のあったザ・タイガースは長髪が理由でNHKのオーディションは落とされている。エレキと長髪はご法度というのが当時の基準だった。70年代もそうだ。ロックバンドではないものの、オフコースという名前には"道を外れる"という意味がある。音楽を職業にすることは、まともな人生を捨てることとイコールだった。

   80年代後半のバンドブームはそういう例外的な若者たちによる現象ではなかった。バンドを組んで中学や高校の文化祭で演奏することが定着した。中には教師自ら音頭を取るという例も少なくなかった。

   更に特徴的なのは、それまでは客席で歓声を上げるだけだった女の子たちが「やる側」に回っていったことがある。"ガールズバンド"の登場。その先鞭をつけたのがREBECCAだった。

バレリーナを夢見たNOKKOの踊り

   85年に出た彼らの4枚目のアルバム「REBECCA Ⅳ・Maybe Tomorrow」は、史上最初のバンドによるミリオンセラーになった。ちなみにその翌年にアルバム「BEAT EMOTION」をミリオンにしたのがBOO/WYである。その二つのバンドがブームを牽引していた

   REBECCAは、NOKKO(V)、土橋安騎夫(Key)、高橋教之(B)、小田原豊(D)の4人組。ライブではそこにギターやパーカションのミュージシャンが加わっていた。作詞をしていたのがNOKKOで作曲は土橋安騎夫というコンビが主体。硬派な縦ノリのビートバンドが主流の中にあってヨーロッパ調のメロディーとヒッピー風な色彩感を備えたロックバンドは他に存在しなかった。

   そして、何よりもNOKKOの書く詞と彼女のパフォーマンスが最大の魅力だったことはいうまでもない。出世作となった85年のシングル「フレンズ」は、その日は"ママの顔さえも見れなかった"という初めてのキスを交わしたボーイフレンドとの別れがテーマで88年の「MOON」は、13歳で盗みを覚えて家を出てしまった女の子を歌ったものだった。思春期の少女の同世代感。当時社会現象になっていた少女漫画の中に最も多く登場していたのが彼らだろう。80年代"ガールカルチャー"のシンボルのような存在だった。

   今回、完全版が出るのは89年7月17日の彼らにとって初の東京ドーム公演。公演後の90年に一度ビデオにはなっていたものの、その時は演奏曲18曲のうち10曲のみ。全曲を観たいという声があったものの叶わずになっていた。30年後の完全版ということになる。

   今のドーム公演を見慣れた人には、照明の量や光量の少なさに驚くかもしれない。まだコンピューターが導入される前だ。ステージから映し出される客席はほぼ闇の状態。後方に二階のテラス席の光がまるでいさり火のように浮かんでいる。東京ドームの特徴の一つである"降りそそぐような大歓声"は聞こえない。つまり、そういう音を収録する機材もなかったということなのだろう。

   とはいえ、そういう中でのNOKKOのパフォーマンスは全てを凌いで余りある。撮影されているのがフィルムということもあるのだろう。温度感のある光の中で踊りながら歌う姿は生々しく艶めかしい。

   子供の頃からバレリーナを夢見ていたという彼女の踊りは、一つの形に収まらない。ロックの反復ビートと挑発的なフラメンコやディスコダンス、そしてクラシックダンスの優雅さ。その後、TRFとしてデビューする3人のサポートダンサーとは明らかに違う自由で奔放なエネルギーを発散している。今、主流となっている集団アイドルのダンスが全体の統制下にあるのとは根本的な成り立ちが違う。気持ちがそのまま声になったような歌とシャウト。ドームの左右に走って客席を煽り、息を切らしてうずくまってしまうシーンもある。得体の知れないドームという怪物に挑み、ステージでどこまで自由になれるか、どこまで自分を解放させられるか。男性バンドを従えた姿はどこまでも愛くるしくセクシー。それはまさしく"ヒロイン"という名にふさわしかった。

ライブとは何かへの答え

   東京ドームの映像と同時発売で85年12月の渋谷公会堂のブルーレイ作品も発売される。下積み時代を抜け出したREBECCAがメジャーシーンに衝撃的な登場を果たした最初のコンサート「REBECCA LIVE'85~Maybe Tomorrow」の完全版は、ようやく舞台に上がれたという感極まったような体当たりなライブ映像だった。その作品の試写会での筆者のインタビューでNOKKOは「今まで自分のライブ映像は気恥ずかしくて見られなかった。やっとそういう時期が来たのかもしれない」と言った。

   そのライブから3年半後の東京ドームは、持てる力の全てを使って更に高みに向かって行こうとする意欲が溢れている。

   REBECCAは、この後、90年1月の武道館公演を最後に活動を休止、91年に解散した。95年の阪神淡路大震災を契機に限定再結成、2017年には全国ツアーも行った。その時に行われた武道館でのNOKKOは、当時を凌ぐ声量で客席を圧倒、今の存在感を見せつけていた。

   あれから30年が経つ。

   コンサートを取り巻く環境や音楽の流行も今とはかなり違う。でも、テクノロジーが未発達だったからこそ生まれるものもある。そして、だからこそ新鮮に思えることもあるだろう。

   87年の東京ドームと85年の渋谷公会堂の二つの映像作品は、ライブとは何かという普遍の答えを見せてくれるはずだ。

(タケ)

タケ×モリ プロフィール

タケは田家秀樹(たけ・ひでき)。音楽評論家、ノンフィクション作家。「ステージを観てないアーティストの評論はしない」を原則とし、40年以上、J-POPシーンを取材し続けている。69年、タウン誌のはしり「新宿プレイマップ」(新都心新宿PR委員会)創刊に参画。「セイ!ヤング」(文化放送)などの音楽番組、若者番組の放送作家、若者雑誌編集長を経て現職。著書に「読むJ-POP・1945~2004」(朝日文庫)などアーティスト関連、音楽史など多数。「FM NACK5」「FM COCOLO」「TOKYO FM」などで音楽番組パーソナリテイ。放送作家としては「イムジン河2001」(NACK5)で民間放送連盟賞最優秀賞受賞、受賞作多数。ホームページは、http://takehideki.jimdo.com
モリは友人で同じくJ-POPに詳しい。

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