バレリーナを夢見たNOKKOの踊り
85年に出た彼らの4枚目のアルバム「REBECCA Ⅳ・Maybe Tomorrow」は、史上最初のバンドによるミリオンセラーになった。ちなみにその翌年にアルバム「BEAT EMOTION」をミリオンにしたのがBOO/WYである。その二つのバンドがブームを牽引していた
REBECCAは、NOKKO(V)、土橋安騎夫(Key)、高橋教之(B)、小田原豊(D)の4人組。ライブではそこにギターやパーカションのミュージシャンが加わっていた。作詞をしていたのがNOKKOで作曲は土橋安騎夫というコンビが主体。硬派な縦ノリのビートバンドが主流の中にあってヨーロッパ調のメロディーとヒッピー風な色彩感を備えたロックバンドは他に存在しなかった。
そして、何よりもNOKKOの書く詞と彼女のパフォーマンスが最大の魅力だったことはいうまでもない。出世作となった85年のシングル「フレンズ」は、その日は"ママの顔さえも見れなかった"という初めてのキスを交わしたボーイフレンドとの別れがテーマで88年の「MOON」は、13歳で盗みを覚えて家を出てしまった女の子を歌ったものだった。思春期の少女の同世代感。当時社会現象になっていた少女漫画の中に最も多く登場していたのが彼らだろう。80年代"ガールカルチャー"のシンボルのような存在だった。
今回、完全版が出るのは89年7月17日の彼らにとって初の東京ドーム公演。公演後の90年に一度ビデオにはなっていたものの、その時は演奏曲18曲のうち10曲のみ。全曲を観たいという声があったものの叶わずになっていた。30年後の完全版ということになる。
今のドーム公演を見慣れた人には、照明の量や光量の少なさに驚くかもしれない。まだコンピューターが導入される前だ。ステージから映し出される客席はほぼ闇の状態。後方に二階のテラス席の光がまるでいさり火のように浮かんでいる。東京ドームの特徴の一つである"降りそそぐような大歓声"は聞こえない。つまり、そういう音を収録する機材もなかったということなのだろう。
とはいえ、そういう中でのNOKKOのパフォーマンスは全てを凌いで余りある。撮影されているのがフィルムということもあるのだろう。温度感のある光の中で踊りながら歌う姿は生々しく艶めかしい。
子供の頃からバレリーナを夢見ていたという彼女の踊りは、一つの形に収まらない。ロックの反復ビートと挑発的なフラメンコやディスコダンス、そしてクラシックダンスの優雅さ。その後、TRFとしてデビューする3人のサポートダンサーとは明らかに違う自由で奔放なエネルギーを発散している。今、主流となっている集団アイドルのダンスが全体の統制下にあるのとは根本的な成り立ちが違う。気持ちがそのまま声になったような歌とシャウト。ドームの左右に走って客席を煽り、息を切らしてうずくまってしまうシーンもある。得体の知れないドームという怪物に挑み、ステージでどこまで自由になれるか、どこまで自分を解放させられるか。男性バンドを従えた姿はどこまでも愛くるしくセクシー。それはまさしく"ヒロイン"という名にふさわしかった。