機械的な音、それを覆う不安の旋律
そんな、ピアニストでもあるプロコフィエフが「ピアノソナタ第2番」を作曲したのは1912年、音楽院に在学中の時でした。まだ弱冠21歳の青年でした。翌年に出版され、さらに翌年の1914年、プロコフィエフ自身のピアノよって初演されました。同じ年の音楽院の卒業試験では、やはり自作のピアノ協奏曲第1番を演奏し、音楽院創立者のアントン・ルービンシュタインの名を冠した賞を受賞した後、彼はロンドンに渡り、ロシア・バレエを引き連れて、ストラヴィンスキーの音楽とともにパリの楽壇に衝撃を与えた名プロデューサー、セルゲイ・ディアギレフに出会ったりしています。
ピアノソナタ第2番は、後年の「戦争ソナタ」と愛称がつけられ、傑作として知られている 第6番、第7番、第8番に比べると構造は簡素なものの、4楽章形式で、演奏も20分弱かかる堂々たるソナタでした。ピアノソナタ第1番が単1楽章で、演奏時間も8分程度のいわば習作的雰囲気のものであったことを考えると、第2番は初の本格作品といえます。
第1楽章は、冒頭から、「不安の時代」を感じさせるような旋律から始まります。そして、いきなりそれを邪魔するように、機械がガチャガチャと音を立てているような響きがそれを邪魔します。そのあと、やはり不安とも混沌ともつかないメロディーが高音部にあらわれたあと出現する一層不安を掻き立てるような第2主題が始まります。この第2主題は、最終第4楽章にも再び現れます。このように主題が回帰することを「循環形式」といいますが、そのような技法を用いて有機的なつながりを各楽章に持たせているところからも、プロコフィエフの並々ならぬ才能が見て取れます。
そして、曲全体に、まさに「鋼鉄の指」が必要なパワフルかつ硬質な響きがあふれています。機械的な音、それを覆う不安の旋律・・・この曲は、あたかも、産業革命により19世紀に急速に発展した機械やテクノロジーが、20世紀に入って人類に恩恵どころか戦争や環境破壊などの不幸をもたらす・・・というような、雰囲気に満ちているのです。初演の年、1914年はプロコフィエフ個人にとっては、音楽院を卒業し社会に出てゆく、という希望に溢れる年でしたが、欧州ではサラエヴォの暗殺事件から未曽有の第一次世界大戦が始まる年であり、その戦争中に彼の祖国は長年の人々の怒りが爆発し、ロシア革命が勃発して、ロマノフ朝が倒れソ連が成立する・・・そんな大混乱の入り口の年だったのです。
ピアノソナタ第2番を含む、青年プロコフィエフの作品は「モダニズム=新しいスタイル」として、当時の欧州に衝撃を与え、賛否両論を巻き起こしました。しかし、私は、そのような単に音楽のスタイル上だけの問題ではなく、すでにこの若い時代の作品においてさえ、プロコフィエフは、「産業革命の結果により作られてゆく、必ずしも幸福とは限らない未来の人類の歴史」を予見して、表現していたような気がしてなりません。
21世紀初頭の現在、改めて聞きたい20世紀初頭の名曲です。
本田聖嗣