地球環境問題が議論されるようになって久しいですが、ここのところ、若い人たちのムーブメントなどもあり、ニュースでも気候変動に関する事柄が多く取り上げられるようになってきています。先進国や途上国の足並みが揃っているとはいいがたい政治の世界ですが、世界各地で環境保護をスローガンに掲げた政党の躍進などもあり、21世紀前半の大きな課題として、環境関連はもはや誰も無視できない状況になってきました。
「鋼鉄の指と手首を持つ」と形容されたピアニスト
環境問題は産業革命以降、人間がその生活の便利さのために様々なエネルギー、特に化石燃料を利用してきた、というのが主因ですが、便利になったと同時に安全になった生活によって、人口も爆発的に増えています。もし産業革命以前の地球環境に戻すことになると、一人当たりの生活を改善するのみならず、人口も約9分の1に戻さならければならないわけで、ここに環境問題の本質的な難しさがあるような気がします。いいかえれば、しがらみのないAI(人工知能)に判断させると「地球環境悪化の根本原因は人間そのものだ」と、断罪されかねない状況なわけです。
今日は、20世紀の初頭に、日々進化する機械文明を横に見ながら、そんな未来をも見通していたような曲を取り上げましょう。ウクライナ出身で、のちに世界を周り、ソ連に没したセルゲイ・プロコフィエフの「ピアノソナタ 第2番 Op.14」です。
以前にもこのコラムで「ウクライナの元気印」として彼の「スキタイ組曲」をとりあげましたが、ピアノソナタ第2番も同じ初期の作品です。
ウクライナ南部(当時はロシア帝国領でした)に19世紀末の1891年に生まれたプロコフィエフは、兄弟が早く亡くなったこともあり、一人っ子として大切に育てられ、早くから音楽の才能をあらわします。9歳のときモスクワで見たオペラやバレエに感動し、弱冠10歳でなんとオペラを作ることに情熱を燃やし、11歳から本格的音楽教育を受け始めます。1904年、13歳で名門サンクトペテルブルク音楽院に進み、一流の教授陣に師事します。1909年に作曲科過程を修了したあとも、指揮科とピアノ科に学び、音楽院には都合10年在籍しました。
作曲家として名高いプロコフィエフですが、ピアニストとしても超一流で、その演奏は「鋼の指と、手首を持つ」と形容され、数多くの自作をピアニストとして初演しています。また、彼は戦争と革命に揺れる祖国を離れて日本経由米国に渡り、その後パリにも暮らすのですが、その間彼の生活の糧となったのは作曲家というよりピアニストとしての「腕前」でした。出版まで時間がかかる作曲より、演奏会を開くとすぐ収入になる演奏家としての活躍は、彼の亡命旅行を支えたのです。