フォークルもきたやまも加藤も「コブのない駱駝」
加藤和彦が行った、日本で前例のない試みが80年代前半のアルバムのレコーディングだった。79年、「パパ・ヘミングウェイ」はバハマ、80年「うたかたのオペラ」はベルリン、81年「ベル・エキセントリック」はパリでレコーディングされた「ヨーロッパ三部作」。妻の作詞家、安井かずみやYMOの細野晴臣、坂本龍一、高橋幸宏、矢野顕子らと現地に滞在しながら曲を作りレコ―ディングする。
世界を旅しながらアルバムを作る。そんなスタイルは、当時の若者たちにとっての羨望と憧れだった。80年代日本のバブルの軽薄短小と一線を画したヨーロッパ的デカダンスやダンディズムは"早すぎた大人のロック"以外の何者でもなかった。
その後もヴェネツィアで制作された84年の「ヴェネツィア」、東京とパリで作られた「マルタの鷹」、ロサンゼルスで録音された91年の「ボレロ・カリフォルニア」とそうしたスタイルは、続いたものの、その後にソロアルバムは出ていない。90年代以降、彼はスーパー歌舞伎とのコラボレーションなど、日本的なものに目を向けているようだった。
サディスティック・ミカ・バンドはその後、新たな女性ヴォーカルで二度に渡って再結成、フォーク・クルセダーズもTHE ALFEEの坂崎幸之助を、加えて再結成もされている。
そうやって2000年代を過ごす中で、彼が何を思っていたか。それが、10年前の10月16日の決断につながっていったのだと思う。
公開された遺書には"私のやってきた音楽なんてちっぽけなものだった。世の中は音楽なんて必要としていないし"とあった。
きたやまおさむは自著「良い加減に生きる」の中で"彼の自死はある意味では確信犯なんです"と書いている。
彼の自選集CD「良い加減に生きる」にはフォークルの「コブのない駱駝」も収録されている。作詞・きたやまおさむ、作曲・加藤和彦である。
コブのない駱駝と鼻の短い象と立って歩く豚が自分の姿の醜さを嘆いている。でも、実は、それぞれが「馬」と「河馬」と「人」だった、というオチがついている。
自分が他と違うということで悩んでいる人がいかに多いか。「コブのない駱駝」はきたやまおさむの自伝のタイトルにもなっている。筆者のインタビューに「あの曲が精神科医としての原点」と話していた。
フォークルも、その後の加藤和彦もきたやまおさむもそれぞれが日本の音楽業界では「コブのない駱駝」だったように思う。
そして彼らはそれを自覚していた。
フォークルは、何よりも「自由」に見えた。業界のしきたりや伝統、あるべき姿やあってはならない姿という固定観念がなかった。
加藤和彦は「音楽」にその「自由」を求め、きたやまおさむは「精神」にそれを求めてきた、と言えないだろうか。
彼がいなくなって10年が経つ。
自分の人生の結末をどうつけるか。
これから語られるべきことの方が多いのではないだろうか。
(タケ)