アトランタで奇跡、東京は? 前園真聖が語る五輪サッカー(後編)【特集・目指せ!東京2020】

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日本人選手の海外移籍「ヒデが切り開いた」

――最後にサッカー界の難しい質問をさせて下さい。現在、多くの20歳前後の選手たちが海外に移籍しています。ですが、若くして海外移籍した選手が順調に伸びた例は少ない。たとえば、森本貴幸や宮市亮が挙げられます。一方で、五輪を経験してから移籍した岡崎慎司、長友佑都、本田圭佑は日本代表で順調なキャリアを過ごしました。適切な海外移籍のタイミングは何歳くらいだと思いますか。

前園 凄く難しいです。確かに今までは、ある程度Jリーグで経験を積み、五輪で世界を体感して、そこから自分に合ったレベルのリーグを目指すモデルが主流でした。でも、欧州三大リーグ(イングランド・スペイン・イタリア)で戦うのであれば、それは遅いという考え方もできます。欧州では、24歳はもう中堅になってしまっている......。
今の移籍って、やはりヒデ(中田英寿)が切り開いた部分があると思います。その前に欧州移籍した選手は、ヒデほどのインパクトを残せたとは言い難いですよね。成功のモデルがいなかったから、日本サッカーは海外移籍のノウハウをもてなかった。それは僕自身が痛感しています。それをヒデが変えた。Jリーグで経験を積んで、日本代表として世界を経験して、欧州に移籍していく。そんなヒデのモデルケースが、長友や岡崎や本田ですよね。そして、欧州クラブ側も「ネクストヒデ」を探せと、日本人を積極的に獲得している。
ヒデが前例を塗り替えたように、たとえばスペインにいる久保が成功すれば、「前例」が(イタリアで苦戦した)森本から久保に代わり、十代で欧州三大リーグでも普通にプレー出来るようになるのだと思います。
そういった意味でも、今回の五輪世代は、日本サッカーの歴史を変えてくれそうだと期待が膨らんでいます。

(文中敬称略)


前園真聖(Masakiyo Maezono)
1992年鹿児島実業高校からJリーグ・横浜フリューゲルスに入団。 1994年にはアトランタオリンピックを目指すU-21日本代表に選出されると共に、ファルカン監督に見出されA代表にも選出。日本代表U-21主将として28年ぶりとなるオリンピック出場に貢献。
そして1996年、アトランタオリンピック本大会では、ブラジルを破る「マイアミの奇跡」などを演出し、サッカーファンのみならず、広く注目される事となる。
その後、ヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ1969)、サントスFC・ゴイアスEC(ブラジル)、湘南ベルマーレ、東京ヴェルディ、安養LGチータース・仁川ユナイテッド(韓国)と渡り歩き、2005年5月19日に引退を表明。
2006年FIFAワールドカップドイツ大会、2008年北京オリンピックともに期間中は現地にて取材活動をし、サッカーだけではなく多岐にわたる競技を取材する。現在はサッカー解説者やメディア出演の他に、自身のZONOサッカースクール少年サッカーを主催し、普及活動をしているが、2009年ラモス監督率いるビーチサッカー日本代表に召集され現役復帰。同年11月に開催されたUAEドバイでのW杯において、チームのベスト8に貢献した。ペットはミニ豚。

文:石井紘人(いしい・はやと)
ラジオやテレビでスポーツ解説を行う。主に運動生理学の批評を専門とする。
著作に『足指をまげるだけで腰痛は治る』(ぴあ)『足ゆび力』(ガイドワークス)、プロデュース作品に久保竜彦が出演した『弾丸シュートを蹴る方法』(JVD)がある。
『TokyoNHK2020』サイトでも一年間に渡り、パラリンピックスポーツの取材を行い、「静寂から熱狂そしてリスペクト」などを寄稿。
株式会社ダブルインフィニティ代表取締役でもあり、JFA協力、Jリーグと制作した『審判』の版元でもある。

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