この交響曲に並々ならぬ熱意を注いでいた
若いグランド・ツアー旅行の時にきっかけはつかんだものの、この交響曲が完成するまでには、速筆のメンデルスゾーンとしては(速筆でなければ、あの短い生涯に演奏家や指揮者や教育者をしながらあれだけの作品を残すことはできません!)異例の長期間がかかりました。
二十代のメンデルスゾーンは、作曲家として大規模なオラトリオやカンタータ、劇音楽、交響曲第4番に第5番、室内楽と様々な作品を生み出していきましたし、指揮者としてはデュッセルドルフやライプツィヒやベルリンで活躍し、少し前の時代の音楽、つまり「クラシック音楽」を聴く習慣をベートーヴェンやシューベルト作品の復活演奏などで人々に浸透させました。さらに結婚もし、音楽学校の設立にも奔走し、と休む間もなく音楽家として活動していたのです。
構想から約12年、やっと33歳の時に交響曲第3番(繰り返しますが作られた順番は最後の5番目です)を完成させることになるのです。その後も改訂を繰り返しますが、そのことから見ても、彼はこの交響曲に並々ならぬ熱意を注いでいたことがわかります。
インスピレーションは、スコットランドの悲しげな風景から得ているので、第1楽章はその悲劇を思わせるような悲しげな旋律からスタートしますが、全4楽章で40分ほど演奏時間がかかる大作を通して聞くと、ロマン派初期を代表する天才音楽家である彼の世界を存分に味わえます。「メンデルスゾーン最後の交響曲」は、天才が熟考に熟考を重ねて練り上げた1曲です。
あくまでメンデルスゾーンがスコットランドを訪れた時に「冒頭の旋律が頭の中に浮かんだ」というだけで、そのほかはスコットランド風な要素があまり見られない曲でもありますが、メンデルスゾーンの生前からこの曲は「スコットランド交響曲」として知られ、本人もその愛称をいわば追認する形になっていたので、現在でもその名で知られています。
本田聖嗣