現世代と将来世代の互恵関係
シェフラーの指摘を踏まえて考えると、我々の各世代が人類の存続という公共的価値を共有していることに気づかされる。そして、その価値の維持・増進に相互に寄与しうるという意味で、各世代は互恵関係にあるとみることができるようになる。
重複する近接世代間の協力については、賦課方式の年金がよく例に挙げられる。稼得能力を失った高齢世代(世代1)は壮年世代(世代2)から扶養を受ける。壮年世代の子世代(世代3)は、壮年世代(世代2)が壮年時に老親(世代1)を扶養したことを条件に、高齢期に入った世代2を扶養する。壮年世代が払う年金保険料は老年世代の年金に使われ、壮年世代の年金を支えるのは、子世代の保険料支払いというわけである。
しかしながら、この賦課年金モデルでは、遠く離れた世代間に協力関係を樹立することがむつかしい。当面はなにも問題がないが、100年後に壊滅的な被害をもたらすシナリオ(時限爆弾)において、賦課年金方式はなす術がない。また、賦課年金モデルでは、いったん途切れた世代間協力の連鎖を回復させることがむつかしいという課題もある。
この点、人類の存続という共通価値により結びつけられた各世代の場合、たとえ遠く離れた破滅であってもその危険性に無関心ではいられない。そして、仮に現在協力の連鎖が存在していないとしても、未来の災いを予測するなら、予測したその時から我々はその災厄の回避に努めなければならない。
シェフラーは人類の存続に重きを置いて、共同体や身近な人々の存続が支える価値については、否定こそしないものの軽い評価しか与えていない。人類の存続の重要性はいうまでもない。ただ、共同体や身近な人々の存続に由来する価値については、もう少し考察を深める余地があるように思われた。
原文は読みやすい英文である。
経済官庁 Repugnant Conclusion