我々の日常生活が人類の存続に依存していること

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■『Death and the Afterlife』(著・サミュエル・シェフラー Oxford University Press)

   先般、国連の気候対策サミットにおいて、ひとりの少女のスピーチが反響を呼んだところである。

   前々回前回と気候変動、人口問題を扱った書籍の紹介を通じ、世代にまたがる長期の公共の問題についてどのように考えればよいのか、哲学的な思考の道筋を追った。今回取り上げるのは、その際一瞥した、サミュエル・シェフラーによる『Death and the Afterlife』(2013)である。

   標題をみると本書のことを、死後の世界の実在あるいは非実在について扱う宗教的な本のように思われるかもしれないが、本書でいうAfterlifeとは、自分の死後にも継続するすると想定される人類の存続という意味で使われている(なお、シェフラーは本書中でわざわざ、自分は死後の生という意味でのAfterlifeは信じていないと断っており、キリスト教圏のなかで、この問題の微妙な位置づけを感じさせるくだりがある)。

Afterlifeの存在の持つ価値

   シェフラーの議論の要点は、人が自分の死後も人類が存続することに価値を見いだしていることである。シェフラーはこのことを、誰も早死にしないが、今後地上に子どもがひとりも生まれなくなるという「不妊のシナリオ」を提示することを通じて説得する。もしなんら健康を損なうことなく、すべての人類から妊娠する能力が失われたとしたらどうだろうか。長く使用し費用回収を想定するインフラ整備には支障が生じそうである。ただし、この程度の課題については、人口の縮減を予め織り込んで、漸進的に社会の規模を縮めていくよう管理することで、制御できそうである。本当に問題なのは、社会の中に蔓延するアパシーではないか。芸術的創造活動はこの状況においても続けられるだろうか。画家本人は作品を創り上げる過程の喜びを味わうことができるはずだ。(自分が最後の独りならない限り)周囲に残っている人々に作品を鑑賞してもらうのをみることもできる。それでも、○年後にその作品を鑑賞する者が皆無であることが確実な場合でも、なおも画家は制作を続けるだろうか。

   人間には他の動物と異なり、いま・ここ・自分の制約を離れて視点を移動する能力がある。いま・ここ・自分の視点にとどまる限り画家にはなにも思い悩む必要性はないはずである。それでも、その画家はいま・ここ・自分から離れた視点から物事を眺めることを余儀なくされる。そして、自分の創作活動の価値が失われてしまうとひしひしと感ずるのだ。

   このような思考実験を通じてシェフラーは、我々が価値を見いだすものは、実のところafterlifeの存在があってはじめて真に価値を持つのであることを説く。だとすれば、我々は人類の存続のため、未来世代に配慮を欠くことはできないことになる。我々のあとにも世界が存続することに、我々自身の幸福は根本的に依存している。

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