アトランタで奇跡、東京は? 前園真聖が語る五輪サッカー(前編)【特集・目指せ!東京2020】

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アトランタ五輪がなければ、今の自分はいない

――ですが、前園さんご自身の移籍は叶いませんでした。メディアはよく前園さんのサッカー人生を、アトランタ五輪の前と後で分けて語りますが、実際に五輪は前園さんの人生にどのような影響を与えましたか。

前園 望んだサッカー人生になったとは言えないかもしれません。アトランタ五輪後、「ここが僕自身の移籍のタイミングだ」と思っていましたが、ヒデ(中田英寿)のように切り開けなかった。
その後、ブラジルに移籍しましたが、欧州三大リーグ(イングランド・スペイン・イタリア)には挑戦できませんでしたし、W杯の出場も無理だった。結果、アトランタ五輪が一番大きな大会となりました。ただ、「ブラジルを倒したマイアミの奇跡でキャプテンを務めた」という形容詞で、今、お仕事を頂いている部分もあると思うんです(笑)。なので、アトランタ五輪がなければ、今の自分はいないと思っています。

(文中敬称略、後編に続く)


前園真聖(Masakiyo Maezono)
1992年鹿児島実業高校からJリーグ・横浜フリューゲルスに入団。 1994年にはアトランタオリンピックを目指すU-21日本代表に選出されると共に、ファルカン監督に見出されA代表にも選出。日本代表U-21主将として28年ぶりとなるオリンピック出場に貢献。
そして1996年、アトランタオリンピック本大会では、ブラジルを破る「マイアミの奇跡」などを演出し、サッカーファンのみならず、広く注目される事となる。
その後、ヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ1969)、サントスFC・ゴイアスEC(ブラジル)、湘南ベルマーレ、東京ヴェルディ、安養LGチータース・仁川ユナイテッド(韓国)と渡り歩き、2005年5月19日に引退を表明。
2006年FIFAワールドカップドイツ大会、2008年北京オリンピックともに期間中は現地にて取材活動をし、サッカーだけではなく多岐にわたる競技を取材する。現在はサッカー解説者やメディア出演の他に、自身のZONOサッカースクール少年サッカーを主催し、普及活動をしているが、2009年ラモス監督率いるビーチサッカー日本代表に召集され現役復帰。同年11月に開催されたUAEドバイでのW杯において、チームのベスト8に貢献した。ペットはミニ豚。

文:石井紘人(いしい・はやと)
ラジオやテレビでスポーツ解説を行う。主に運動生理学の批評を専門とする。
著作に『足指をまげるだけで腰痛は治る』(ぴあ)『足ゆび力』(ガイドワークス)、プロデュース作品に久保竜彦が出演した『弾丸シュートを蹴る方法』(JVD)がある。
『TokyoNHK2020』サイトでも一年間に渡り、パラリンピックスポーツの取材を行い、「静寂から熱狂そしてリスペクト」などを寄稿。
株式会社ダブルインフィニティ代表取締役でもあり、JFA協力、Jリーグと制作した『審判』の版元でもある。

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