アトランタで奇跡、東京は? 前園真聖が語る五輪サッカー(前編)【特集・目指せ!東京2020】

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   1996年のアトランタ五輪で世界最強のブラジルを破り、世界に衝撃を与えたサッカー23歳以下の日本代表。この「マイアミの奇跡」を起こしたチームのキャプテンを務めたのが、前園真聖氏だ。

   今、自身が出場した五輪をどう振り返るのか。また来年の東京五輪に臨む23歳以下の日本代表の評価は。同氏のインタビューを2回にわたりお届けする。(インタビュアー・石井紘人 @ targma_fbrj)

  • 現在はサッカー解説者やテレビ番組出演はじめ幅広く活動する前園氏
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五輪が終わった後に海外移籍したいと言い続けた

――アトランタ五輪は、グループリーグ同組だったナイジェリアが金メダル、ブラジルが銅メダルでした。そんな凄いグループで日本がブラジル、ハンガリーと2勝できた背景として、当時のJリーグにレベルの高い外国人選手がいたことも関係しているでしょうか。

前園 間違いなく関係ありました。横浜フリューゲルスでチームメイトだった二人、ジーニョはFIFAワールドカップ(W杯)1994年米国大会でブラジルを優勝に導いた後でしたし、サンパイオはその次のW杯1998年フランス大会でブラジル準優勝の原動力になりました。「元」ではなく、現役のブラジル代表レギュラーが二人もチームにいるなんて、今のJリーグでは考えられません。ヴィッセル神戸のイニエスタは凄い選手で話題にもなっていますが、そのレベルの選手が二人もいるのですから。
もちろん、全体的なレベルは今のJリーグの方が高いと思います。
でも、日本がW杯に出場したことのない時代に、世界のトップの選手と毎日練習できる環境があり、世界へのお手本が常に目の前にあって、何でも(技術を)盗めて、聞けて、質の高い練習が出来ていたのは、自信に繋がりました。五輪でも、「ブラジル代表と練習から一緒にやっているのだから」と思っていました。

――では、ブラジルと戦っても、そこまでの衝撃はなかったですか。

前園 ブラジルという名前に負けることはありませんでしたが、対峙してマッチアップした時に、一瞬のスピードなどのフィジカル、技術、判断、個人やグループ戦術が、Jリーグの試合以上の迫力がありました。
1-0で勝利しましたが、内容はボロ負け。あの試合くらいのインパクトをJリーグの試合で常に感じるのは難しいですよね。なので、こういった選手たちと常に試合が出来るリーグに移籍したいと思い、僕は五輪が終わった後に海外移籍したいと言い続けたのです。
高いレベルの舞台を経験すれば、この選手たちと同じレベルでやりたいというのは当然ですし、思えなければダメです。

文:石井紘人(いしい・はやと)
ラジオやテレビでスポーツ解説を行う。主に運動生理学の批評を専門とする。
著作に『足指をまげるだけで腰痛は治る』(ぴあ)『足ゆび力』(ガイドワークス)、プロデュース作品に久保竜彦が出演した『弾丸シュートを蹴る方法』(JVD)がある。
『TokyoNHK2020』サイトでも一年間に渡り、パラリンピックスポーツの取材を行い、「静寂から熱狂そしてリスペクト」などを寄稿。
株式会社ダブルインフィニティ代表取締役でもあり、JFA協力、Jリーグと制作した『審判』の版元でもある。

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