大ヒット「剣の舞」作曲のハチャトゥリアン アルメニア人の誇りと故郷への愛

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   今日取り上げる曲は、日本でも大変よく知られたクラシック曲です。秋の運動会シーズンですが、運動会の競技や入退場曲としてもよく使われる「剣の舞」です。作曲したのは、アラム・イリイチ・ハチャトゥリアンです。

  • 剣の舞、ピアノ連弾版楽譜冒頭。この曲の人気の源、派手なリズムから始まる
    剣の舞、ピアノ連弾版楽譜冒頭。この曲の人気の源、派手なリズムから始まる
  • 中間部の旋律は、ハチャトゥリアンの故郷アルメニアへの想いが詰まっている
    中間部の旋律は、ハチャトゥリアンの故郷アルメニアへの想いが詰まっている
  • 剣の舞、ピアノ連弾版楽譜冒頭。この曲の人気の源、派手なリズムから始まる
  • 中間部の旋律は、ハチャトゥリアンの故郷アルメニアへの想いが詰まっている

ジョージアで生まれ、モスクワで活躍

   彼は「ソ連の作曲家」とされます。確かに社会主義華やかなりし時代のソビエト連邦(ソ連)で活躍し、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチとともに、ソ連の三巨匠などといわれたこともありました。しかし、彼は1903年、ジョージア(旧グルジア)の現在ではトビリシとよばれる首都の旧チフリス生まれで、しかも彼はジョージア人ではなく、両親ともアルメニア出身だったので、アルメニア人ということに生涯誇りを持っていました。

   1936年以降トビリシと呼ばれるようなったジョージアの首都は、19世紀末から20世紀初頭までは、コーカサス地方の最も大きい都市であり、街の中にはアルメニア人コミュニティがあり、音楽があふれていました。

   モスクワで音楽を本格的に学び、モスクワでデビューし、モスクワで作品を発表しつづけ、評価されたハチャトゥリアンですが、彼の音楽的出発点は、旧チフリスのアルメニア人社会の中にあり、彼はいつも作品に、故郷の雰囲気を盛り込んだのです。

   モスクワ音楽院終了後初の大規模作品「交響曲第1番」もアルメニア風でしたし、その後に発表され、彼の名を国内外に知らしめたピアノ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲、チェロ協奏曲のいずれの作品にも、どこか民族的な旋律が登場しています。彼はこれらの作品によって、ソ連で大変尊敬される作曲家となったのです。

米国で大ヒット、ビルボードチャートにぎわす

   第二次世界大戦が勃発し、ソ連は未曽有の戦いに巻き込まれますが、ハチャトゥリアンはこの時期からさらに創作意欲が増し、傑作を生みだしてゆきます。

   1939年、彼は最初のバレエ作品「幸福」を作曲するために、故郷アルメニアを6カ月にわたって旅します。アルメニアの音楽と民俗学を学び、それは彼にとって、「第2の音楽学校となった」といわれています。この「自らのルーツを探る旅」の結果、彼は多くのインスピレーションを得て、1942年、第二次大戦の真っただ中で、それらの学びの結果を、「幸福」を作り替えたバレエ作品「ガイーヌ」として完成させます。初演は、現在はマリインスキー・バレエとして知られる、名門キーロフ・バレエ団によって行われました。

   このバレエ「ガイーヌ」の最終幕に登場する1曲が「剣の舞」です。シーンとしては、「剣を持ったクルド人たちの踊り」という場面なのですが、中間部の民族的なメロディーはアルメニアの片田舎の結婚式に歌われる民謡をヒントに生み出されています。ハチャトゥリアンはこの追加のシーンとしてあとから設定された「剣の舞」の場面の音楽を生み出すのに大変苦労し、徹夜で考えた末に思いついた、というエピソードとともに知られていますが、その噂の真偽はともかく、この曲は第二次大戦後の1948年、米国で爆発的なヒットとなります。さまざまなオーケストラで演奏された「剣の舞」はビルボードチャートをにぎわし、人々に広く知られる曲となったのです。

   あまりにも有名になりすぎて、ハチャトゥリアンは「『剣の舞』の作曲家」として扱われることに多少迷惑を感じていたようですが、彼の「アルメニア愛」は国を超え、海を越えて、もっとも親しまれるクラシック音楽の1曲となったのです。

本田聖嗣

   筆者より:オリジナルはオーケストラで演奏される『剣の舞』ですが、10月6日(日)、JR上野駅の「 上野の森コンサート」にて、ピアノ連弾でこの曲を演奏します。詳しくはhttp://www.ejrcf.or.jp/concert/をご覧ください

本田聖嗣プロフィール

私立麻布中学・高校卒業後、東京藝術大学器楽科ピアノ専攻を卒業。在学中にパリ国立高等音楽院ピアノ科に合格、ピアノ科・室内楽科の両方でピルミエ・ プリを受賞して卒業し、フランス高等音楽家資格を取得。仏・伊などの数々の国際ピアノコンクールにおいて幾多の賞を受賞し、フランス及び東京を中心にソロ・室内楽の両面で活動を開始する。オクタヴィアレコードより発売した2枚目CDは「レコード芸術」誌にて準特選盤を獲得。演奏活動以外でも、ドラマ・映画などの音楽の作曲・演奏を担当したり、NHK-FM「リサイタル・ノヴァ」や、インターネットクラシックラジオ「OTTAVA」のプレゼンターを務めるほか、テレビにも多数出演している。日本演奏連盟会員。

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