米国で大ヒット、ビルボードチャートにぎわす
第二次世界大戦が勃発し、ソ連は未曽有の戦いに巻き込まれますが、ハチャトゥリアンはこの時期からさらに創作意欲が増し、傑作を生みだしてゆきます。
1939年、彼は最初のバレエ作品「幸福」を作曲するために、故郷アルメニアを6カ月にわたって旅します。アルメニアの音楽と民俗学を学び、それは彼にとって、「第2の音楽学校となった」といわれています。この「自らのルーツを探る旅」の結果、彼は多くのインスピレーションを得て、1942年、第二次大戦の真っただ中で、それらの学びの結果を、「幸福」を作り替えたバレエ作品「ガイーヌ」として完成させます。初演は、現在はマリインスキー・バレエとして知られる、名門キーロフ・バレエ団によって行われました。
このバレエ「ガイーヌ」の最終幕に登場する1曲が「剣の舞」です。シーンとしては、「剣を持ったクルド人たちの踊り」という場面なのですが、中間部の民族的なメロディーはアルメニアの片田舎の結婚式に歌われる民謡をヒントに生み出されています。ハチャトゥリアンはこの追加のシーンとしてあとから設定された「剣の舞」の場面の音楽を生み出すのに大変苦労し、徹夜で考えた末に思いついた、というエピソードとともに知られていますが、その噂の真偽はともかく、この曲は第二次大戦後の1948年、米国で爆発的なヒットとなります。さまざまなオーケストラで演奏された「剣の舞」はビルボードチャートをにぎわし、人々に広く知られる曲となったのです。
あまりにも有名になりすぎて、ハチャトゥリアンは「『剣の舞』の作曲家」として扱われることに多少迷惑を感じていたようですが、彼の「アルメニア愛」は国を超え、海を越えて、もっとも親しまれるクラシック音楽の1曲となったのです。
本田聖嗣
筆者より:オリジナルはオーケストラで演奏される『剣の舞』ですが、10月6日(日)、JR上野駅の「 上野の森コンサート」にて、ピアノ連弾でこの曲を演奏します。詳しくはhttp://www.ejrcf.or.jp/concert/をご覧ください