タケ×モリの「誰も知らないJ-POP」
令和が始まって約半年。どんな強く望んでも立ち会えるとは限らない時代の変わり目。そうした偶然を誰よりも引き受けようとしているのが今年デビュー25周年、2019年10月2日に15枚目のオリジナルアルバム「NO DEMOCRACY」を発売するGLAYではないだろうか。
アルバムの予告を兼ねて4月に配信限定発売されたのは最後に入っている曲「元号」である。ミュージック映像は平成の様々な出来事を記録したニュース映像と彼らのライブの活動の変遷を重ね合わせたドキュメンタリー的なものだった。冒頭の歌詞はこうだ。
"平成が終わる時 あなたは何を思い浮かべるのだろう?
どれほどの希望を胸に抱えて次に進むのだろう?"
前例がない4人4様の自立した関係性
今更説明の必要もないだろうが、GLAYはTERU(V)、TAKURO(G)、JIRO(B)、HISASHI(G)の4人組だ。TAKUROが小学生からの知り合いで別の高校に通うTERUを誘って88年に結成、同じ高校のHISASHIが加わり90年に上京、上京した一級下のJIROが加わって94年にデビューした。
96年発売の2枚目のアルバム「BEAT out!」がチャート一位、以降、97年のベストアルバム「REVIEW」が当時のアルバム売り上げの史上最高記録を更新、99年には幕張メッセ駐車場特設ステージに単独ライブでは世界最大規模の20万人を集めた「GLAY EXPO'99・SURVIVAL」を成功させるなど、平成の音楽史を象徴する存在となった。
ただ、彼らの活動は、そうした数字的なことだけで語ることは出来ない。
以前、2017年に出た前作アルバム「SUMMERDELICS」の時にも書いたことではあるのだが、GLAYは日本のバンドストーリーにはなかった「成長」を体現しているバンドである。
青春の夢や憧れでもあったバンドがどう大人になってゆくか。それを叶えてしまった後にどんな地に足の着いた活動を続けてゆくのか。同じ頃にデビューしたバンドが次々と解散して行った2000年を境に彼らが希求していたのはその一点だったと言って良いのだと思う。
例えば、99年の「GLAY EXPO」は、2001年には北九州・東京・北海道と三か所で開催。2004年には大阪のUSJで、デビュー20周年の2014年にはひとめぼれスタジアム宮城でと形やテーマを変えて開催。地元函館では2013年以降、三回にわたって凱旋ライブ「MILLION DOLLAR NIGHT」を開催、"青春以降"の継続した物語を描き続けている。
更に、2010年からは自主レーベル「LSG」を持ち独自の映像の発売や楽曲の原盤権管理などのマネジメントに関わる体制も整備、レコード会社や既成組織に任せきりにせずに、音楽を「どう届けるか」ということに関しての"大人の責任"を果たそうとしているように見える。
そして、制作面でも、2010年以降は、メンバー4人がそれぞれソングライターとして参加する4曲入りシングル「G4」を発売、今年はアルバム発売前に「G4・Ⅴ」も発売した。それぞれソロ活動も行っている。
一人のメンバーの傑出した才能がバンドを牽引してゆくという従来のバンドの形態とは違う4人4様の自立した関係性は、日本のバンド史上前例がない。