BAILA 10月号の「のっけから失礼します」で、作家の三浦しをんさんがキッチンで降ってわいた難題と、そこからの脱却劇をショートストーリーに仕立てている。
「片手鍋のうえに丼(どんぶり)を重ね、軽く水に浸けておいたら、丼が片手鍋にスポッとはまり、両者合体してどうしてもはずれなくなってしまった」...たまに聞く話である。
丼は片手鍋の縁から4㎝ほど出てはいるが、引っ張っても動かない。すべりがよくなるかと、三浦さんは境界あたりに台所用洗剤を流し込もうとするがダメ。
「これはもう、両者は『新たなるなにか』に進化したのだと観念し、永遠に合体させたまま、あるときは『丼のはまった片手鍋』という調理器具として、またあるときは『片手鍋にはまった丼』という食器として、活用するほかないのか?」
ここで筆者が思い立ったのは「男の筋力」である。「残念ながら現状(というかいつもだが)我が身辺に男性の影はなく」...かつ弟も頼りにならない。「しかたがないから、近所に住む七十歳オーバーの父(筋力...?)に電話し、助太刀を願った」
しかし、父親がやっても片手鍋と丼は変わらず「運命の恋人同士のように」ぴったりくっついたままだ。「マメに食器を洗わないから、こんなことになる!」「お父さんに任せておきなさいって、自信満々だったくせに!」と、あらぬ親子げんかまで勃発した。
温度差を利用して
「そもそも私がまちがっていた。この局面で頼るべきは男性でも筋力でもない、知恵だったのだ」...思い直した三浦さんは「グーグル先生」に助言を請うことにする。
〈片手鍋 丼 はまる 取れない〉とスマホ画面に打ち込むと、「食器がはまったとき、どうすればいいか」という解決策がズラリと表示された。
大鍋に風呂より少し熱い湯を沸かして片手鍋を浸ける。丼側には氷を満たす。鍋は熱で膨張する一方、冷えた丼は縮むので、ひっくり返した片手鍋の底を軽く叩けば丼はスポッとはずれる...はず。数あるアドバイスから、親子はこの方法を選んだ。
二人で口論しながら氷を入れる段まできたが、冷凍庫を見たら8粒しかない。
※この先、ネタバレご注意
「これじゃ冷やすまもなく、すぐ溶けちゃうぞ。もっとないのか?...おまえは晩酌ばっかりしてるから...」とまた言い争い。それでも数分後、湯から引きあげた片手鍋をひっくり返し、父親が包丁の柄で底をトントンと叩くと、丼は無事はずれてくれた。
「『やったー!』と快哉を叫ぶ私の横で、片手鍋のなかに溜まっていた蒸気がドバーッと手にかかった父は、『あちちちち!』と情けない悲鳴を上げていた。ありがとう、(主にグーグル先生と)お父さん!」
起承転結のおさらい
恋仲になった片手鍋と丼...日常のひとこまを切り取っただけの小文だが、冒頭に展開する難題の説明からしてユーモラスだ。後半の「解決編」では、仲よくケンカしな(♪)的な父娘の関係性もにじみ出して、まことに微笑ましい。
コラムだけでなく、こうしたエッセイでも「起承転結」がくっきりした作品は読みやすい。完成された短文の「解剖」など野暮の極みと知りつつ、少しだけおさらいしてみたい。
「起こす」...丼が片手鍋にはまって動かず、さあどうしたものか。
「承ける」...「男性の筋力」を見込まれたお父さんが到着、状況は好転せず。
「転じる」...ここは力ではなく知恵だと、グーグル先生を頼る。ヒーロー登場。
「結ぶ」...見事に丼と鍋が分かれ大団円、父親への感謝も忘れずに。
作中、三浦さんの父上はピエロのような役回りを演じ(させられ)ているが、近所とはいえ娘のSOSに即応し、彼なりの努力をする。間違いなく「いいお父さん」だと思う。そして「いい親子関係」でもある。
もちろん、親子でも人間だから、鍋と丼のようにピッタリとはいかない。互いに言いたいことを言い、罵倒し、結果に興奮して喜び合う。三浦さん書くところの「醜い言い争い」も、仲良し親子の、ありふれたやりとりだろう。ちなみに、馳せ参じた父上は『口語訳 古事記』(2002年、文藝春秋)などで知られる古代文学者、三浦佑之さんだ。
一歩引きながら、ほどよい自虐を交え、ハラハラさせつつ、読者が幸せな気持ちになる結末を用意する。だれにも書けそうで簡単には書けない、プロの技である。
冨永 格