看護師は家族に義父への声かけを呼びかけた
また著者は第5章にて、自ら、日々忙しく業務をする中では患者一人ひとりに費やせる時間は限られるのだから、こうした議論は机上の空論なのではないか、との問いを立て、そのことについて、本書で試みたアプローチは「法的・経済的・社会的観点」とは別の視点である、哲学的アプローチで医療ケアに必要な視点を考えるものであり、「読者によっては観念的な議論と映るかもしれないが」「人間存在に関する深い哲学的洞察を踏まえた原理的な考察として、きわめて重要なものだ」と考えると述べている。
この指摘の意味は重いように思われる。すなわち、我々は普段、「法的・経済的・社会的観点」から医療を捉え、政策を形成していく。そうした観点の重要性は言をまたない-そのことは著者も当然否定していない-が、それだけが先行、優先して医療を捉える姿勢の一面性を物語っていると評者は考える。「地域包括ケアの推進」を政策として掲げるからには、政策を進める立場の者も現象学という視点を学んで医療を捉え、「疾患」と「病い」の違いを踏まえ、医師や看護師をはじめとした医療者に、様々な資源制約の中で最大限、患者を理解し、患者に寄り添うことを可能にすることが求められるのではないか、そのことを突きつけられているように、評者には感じられた。
義父の臨終の局面に席を外し、ナースセンターで座っていた看護師は、あるいは、忙しい中で自らがもはや手出しの必要がない状態にある患者のベッドサイドにいる余裕がなく、あるいは、間もなく来る死亡確認、及び遺体のケア作業までのつかの間の休息のため、席を外しただけだったかもしれない。それでもなお、彼女はおそらく、自らの看護経験を背景に、状況の進行をバイタルという極めて計量的なデータを見た上で確認し、我々家族に義父への声かけを呼びかけたのである。我々の声かけには、自然科学的観点からの効用はなかったであろう。ただ我々は、死に至るまでの時を義父を気遣うことで費やすことができた。このことは、モニターを見ながら過ごすのと比べて、我々にとっては「安らぎ」が感じられた時間であったと思われる。
厚生労働省 ミョウガ