どのような回答が提出されているのか
これらの問題に著者たちはどのように答えているのか。特に興味深いのは、第10章の一橋大学の森村教授による論である。この章では、互恵性という概念が世代間問題にどの程度有効性を持つのか検討がなされている。結論は、互恵性は世代間で有効性のすべてを失うわけではないものの、その力は限定的であり、人道的主義的考慮等の他のロジックにも訴えることが必要だというものである。先に説明した通り、世代間関係は非対称的であるから、同一性世代内で関係のような互恵性の成立にはむつかしいものがある。それでも、なんとか互恵性を導きだそうとする思考の過程を追うことはとても面白い。互恵性を成立させようとする議論のひとつとして、『気候正義』で本格的に取り上げられるサミュエル・シェフラーの議論にも触れられている。評者は『気候正義』への評において、シェフラーとヨナスには通底するものがあることを示唆した。シェフラーの議論を互恵性のなかに置く森村教授の論脈からすると、この通底関係を紐解くには丁寧な議論が必要になることがみえてくる。
もうひとつの論文は、第3章の上智大学の釜賀准教授によるものである。この章は、個人への着目をしない功利主義の骨子を維持しながら、第三の問題として挙げた「いとわしい結論」などの直観に反する事態をいかに回避するかを検討している。この章の読解には多少の算数に付き合うことを要するものの、邦語の文献でこのようなわかりやすい説明が供されているのを評者はみたことがない。本章は功利主義の改良が可能であることを示しているが、次の問題は、直感に適合するよう改良された功利主義がなにを意味しているのか詰めて考えてみることではないか。そもそも我々は直感に適合的な理論を持たねばならないのだろうか。だとすれば、その理由はなにか。
経済官庁 Repugnant Conclusion