一つの歌にいくつもの人生模様がある
浜田省吾の活動の特徴の一つにミュージシャンやスタッフとの絆の強さがある。弾き語りコーナーの途中で参加したギタリストの町支寛二は、広島フォーク村の高校生バンドの一員。浜田省吾と初めて会ったのは1969年。それぞれ別々に上京し、AIDOで一緒になった。
全員で合宿している時に出来たという「朝からごきげん」を披露し、その頃のツアーの思い出話に及んで行く。まだバンドでライブが出来ない頃は、二人で全国を回っていた。居酒屋の片隅やデパートの催し場、客席にはその頃から聞いてきた人もいる。
それぞれが積み重ねてきた時間が会場の空気を作って行く。一部の弾き語りコーナーの最後は「この曲で盛り上がらなかったら、今日はこれで終わり」という冗句つき「路地裏の少年」の大合唱だった。
浜田省吾は70年代に5枚のアルバムを残している。でも、商業的な意味で成功したというアルバムはなかった、と言っていい。シングル・チャートも79年の「風を感じて」までは、ほぼ無縁だった。
70年代の後半は、日本のポップミュージックが激変した時代だ。それまでのフォークやロック、メッセージ色の強い音楽が、ニューミュージックになり、シティ・ポップスに変わって行く。浜田省吾が70年代に発売した5枚のアルバムは、そんな変化とどう折り合いをつけながら自分の音楽を確立してゆくかという試行錯誤の産物でもあった。
とは云うものの、メロディーメーカーとしての資質や言葉の瑞々しさには、今聞いても古さを全く感じさせない曲がたくさんある。メディアが伝えなかったそうした彼の魅力にいち早く反応したのが、その頃から聞いている人たちだ。
すでに限定発売されたこの「Welcome back to The 70's」ツアーの「メモリアルブック」(リットーミュージック刊)には、浜田省吾と当時から関わっているスタッフとの座談会的インタビューや、ファンからの4500以上という「思い出の曲」へのコメントの一部が紹介されていた。
名前も知らなかった彼の曲をたまたまラジオで聞いた時の印象、学園祭に来ていて初めて見た時のこと、ホールの半分も埋まっていなかったライブでの感想。中学や高校の時のことや上京して一人暮らしを始めた頃の自分、初恋だったり失恋したり、あるいは離婚した時のことだったり。それぞれの人生にこんな風に入り込んでいる。一つの歌にこんなにいくつもの人生模様がある。そうした出会いは、ファンクラブ会員ならではだと思った。
そして、彼が「みんなで思い出を」と言った根拠を見るようだった。