タケ×モリの「誰も知らないJ-POP」
浜田省吾は、コンサートのなかで、この日の趣旨について、こう話した。
「もし、ジョン・レノンとジョージ・ハリスンが生きていて、ビートルズが再結成されて『IN MY LIFE』を聞くことが出来たら。カレン・カーペンターが生きてて『CLOSE TO YOU』や『YESTERDAY ONCE MORE』を聞けたら、ツエッペリンのジョン・ボーナムが元気で、生で『GOODTIMES BADTIMES』をみることが出来たらどんなに素晴らしいだろう。でも、彼らはもういない。しかし、俺はまだ生きてる」
穏やかでアットホームな会話
2019年9月4日、浜田省吾のDVD「Welcome back to The 70's "Journey of a Songwriter" since 1975 君が人生の時~Time of Your Life」が発売になった。
去年の9月から今年の1月にかけてのツアー「100%FAN FUN FAN 2018」の一環としてNHKホールで行われたチャリティー・コンサートの模様を収録したものだ。
浜田省吾は、メディアに登場しないことでも知られている。でも、会員数が6万1535人(2019年7月現在)というファンクラブ「Road&Sky」の年6回の会報誌では毎号インタビューに登場し、日々の出来事やこれまでの活動、レコーディングやツアーについての飾らない話をしている。
そういう意味では、ファンクラブの会員とそうでない人でこれほど認識が違うアーティストも珍しいのではないだろうか。
「100%FAN FUN FAN」は、ファンクラブ限定のツアー。去年の「2018」は、自分の70年代の曲だけを歌うという、生涯初めてと思われる貴重な内容だった。
彼は、そんな話をしながらこう続けた。
「遥か遠い昔、俺の歌を聴いて育ててくれた皆さんと思い出のアルバムを開くように思い出の歌を楽しめたらいいな、と思って開きました」。
浜田省吾は1974年、広島の音楽仲間と組んだ5人組バンド、AIDOのドラマーでありソングライターの一人としてデビューした。
彼らが注目されたのはプロとしての最初の活動が広島の先輩、当時、飛ぶ鳥を落とす勢いの吉田拓郎のバックバンドだったからでもある。にも拘わらず、思うような結果を残せないまま、浜田省吾はバンドを脱退、1976年4月にシングル「路地裏の少年」、アルバム「生まれたところを遠く離れて」でソロデビューした。
以来、70年代にはオリジナルアルバムを5枚残している。「70年代の曲だけ歌う」というこの日の一曲目は、デビューアルバムのタイトル曲「生まれたところを遠く離れて」。何と、ギター一本の弾き語りだった。
この欄で何度か触れているように、70年代がどういう時代だったかを説明するのはかなり厄介だ。音楽状況はもちろん、世の中の空気も今とは天と地ほどの差がある。大学のキャンパスには60年代後半からの学生運動の残り火がくすぶっており、若者たちは将来の展望をつかめずに葛藤していた。浜田省吾のデビュー曲「路地裏の少年」も、そんな中で「家を出る」ことで自分の人生の道を切り拓こうとした少年の旅立ちの歌だ。
ステージの後方のスクリーンには、当時のキャンパスや喫茶店の壁に見られたようなピースマークや落書きが書かれている。
彼は、「ソングライターが書く歌は、必ずしもその人自身ではなく、歌の中の主人公。俺じゃないから」と前置きしつつ、思春期の頃、何人の女の子に恋をしたかを明かし、その頃のフォークソングのような「フーテナニー」スタイルで予備校が舞台の「19のままさ」を客席と一緒に歌う。
ライブハウス時代に歌っていた「遠くへ-1973年・春・20才-」は、彼が大学に入学してすぐに目撃した学生同士の衝突が背景になっている。歌詞の中に出てくる学生運動の「赤いヘルメット」は広島カープのものじゃないよ、と客席を笑わせる。
ライブに行ったことのない人には、彼がこんなに穏やかでアットホームな会話をするとは想像出来ないかもしれない。