「星の王」とはだれのこと
カンタータ「星の王」はドビュッシーに献呈されました。ストラヴィンスキーは、出来上がった総譜を、彼に送っているのです。当時としては常識はずれといってもいいほど大規模なオーケストラ編成を必要とすることと、その前衛的な響きのため、なかなか演奏機会に恵まれず、公開の演奏会でこの曲が演奏されるのは1939年を待たねばならず、1918年に没しているドビュッシーは演奏を耳にすることはできなかったのですが、楽譜を送られて、辛口の批評家としても有名だったドビュッシーも、ストラヴィンスキーに最大限の賛辞を送っています。
この時期のストラヴィンスキーは、上演期限があらかじめ決められていた「火の鳥」を仕上げ、その製作途中に「春の祭典」の構想が浮かび、その作曲にも取り掛かっている途中に、息抜きとしてつくったピアノ協奏曲風作品が「ペトルーシュカ」として形になり、これらをバレエ音楽として整え、さらにはバレエ団との練習にも立ち会う、という膨大な作業に追われていたところでした。
しかし、そんな中にあっても、たとえ短い作品といえど、この曲を仕上げ、ドビュッシーに送ったということは、ストラヴィンスキーの彼に対する並々ならぬリスペクトぶりがうかがえます。
ちなみにタイトルの「星の王」とは、ロシア語の原題の意味としては「星の顔をもった王」という解釈ができ、これは「聖イエス・キリスト」を指しています。そこには深い意味は込められておらず、語感の面白さからこのタイトルにした、とストラヴィンスキーは言い残していますが、この時期の彼にとって、ドビュッシーは、文字通り「スター」だったのかもしれません。
二人のお互いのリスペクトがうかがえる、とても前衛的な、素敵な曲です。
本田聖嗣