「バレエ・リュス三部作」で注目のストラヴィンスキーがドビュッシーに献呈した「星の王」

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「星の王」とはだれのこと

 

   カンタータ「星の王」はドビュッシーに献呈されました。ストラヴィンスキーは、出来上がった総譜を、彼に送っているのです。当時としては常識はずれといってもいいほど大規模なオーケストラ編成を必要とすることと、その前衛的な響きのため、なかなか演奏機会に恵まれず、公開の演奏会でこの曲が演奏されるのは1939年を待たねばならず、1918年に没しているドビュッシーは演奏を耳にすることはできなかったのですが、楽譜を送られて、辛口の批評家としても有名だったドビュッシーも、ストラヴィンスキーに最大限の賛辞を送っています。

   この時期のストラヴィンスキーは、上演期限があらかじめ決められていた「火の鳥」を仕上げ、その製作途中に「春の祭典」の構想が浮かび、その作曲にも取り掛かっている途中に、息抜きとしてつくったピアノ協奏曲風作品が「ペトルーシュカ」として形になり、これらをバレエ音楽として整え、さらにはバレエ団との練習にも立ち会う、という膨大な作業に追われていたところでした。

 

   しかし、そんな中にあっても、たとえ短い作品といえど、この曲を仕上げ、ドビュッシーに送ったということは、ストラヴィンスキーの彼に対する並々ならぬリスペクトぶりがうかがえます。

 

   ちなみにタイトルの「星の王」とは、ロシア語の原題の意味としては「星の顔をもった王」という解釈ができ、これは「聖イエス・キリスト」を指しています。そこには深い意味は込められておらず、語感の面白さからこのタイトルにした、とストラヴィンスキーは言い残していますが、この時期の彼にとって、ドビュッシーは、文字通り「スター」だったのかもしれません。

   二人のお互いのリスペクトがうかがえる、とても前衛的な、素敵な曲です。

本田聖嗣

本田聖嗣プロフィール

私立麻布中学・高校卒業後、東京藝術大学器楽科ピアノ専攻を卒業。在学中にパリ国立高等音楽院ピアノ科に合格、ピアノ科・室内楽科の両方でピルミ エ・ プリを受賞して卒業し、フランス高等音楽家資格を取得。仏・伊などの数々の国際ピアノコンクールにおいて幾多の賞を受賞し、フランス及び東京を中心にソ ロ・室内楽の両面で活動を開始する。オクタヴィアレコードより発売した2枚目CDは「レコード芸術」誌にて準特選盤を獲得。演奏活動以外でも、ドラ マ・映画などの音楽の作曲・演奏を担当したり、NHK-FM「リサイタル・ノヴァ」や、インターネットクラシックラジオ「OTTAVA」のプレゼンターを 務めるほか、テレビにも多数出演している。日本演奏連盟会員。

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