我々の死後も人類が存続することの持つ決定的価値
ポジティブな議論を展開しているものとして、評者が興味深いと考えるのは、一橋大学の森村進教授による第4章「未来世代に配慮するもうひとつの理由」である。森村教授は、未来の世代に配慮する理由としては人道主義によるものが考えられるとしつつ、その配慮は正義の名の下でも提唱できるだろうという。
サミュエル・シェフラーの議論を引きつつ、森村教授の指摘するのは、人が自分の死後も人類が存続しつづけることに価値を見いだしていることである。このことは、誰も早死にしないが、今後地上に子どもがひとりも生まれなくなるという「不妊のシナリオ」を考えてみれば、たちどころに諒解できよう。人々は自分自身が早死にしないからといって不妊の事実に無関心ではいられず、社会の中にはアパシーが蔓延するに違いない。我々が価値を見いだすものは、実のところ後世が存在することではじめて本当に価値を持つのであり、だとすれば、我々は人類の文明の存続のため、未来世代に配慮を欠くことはできない。この議論は、ハンス・ヨナスの「責任の原理」と通底するモチーフを持つ。世代間問題における「ものの考え方」について、井上教授が指摘した出口なしの状況から脱する契機となる興味深い議論である。
経済官庁 Repugnant Conclusion